暴君・ネロ皇帝の残虐性はどこからきたものか? 意外に知らない世界史煜 | シティハンターのブログ

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ネロが暴君と呼ばれる理由は、キリスト教徒迫害にある。

発端は64年のロ-マ大火。

この時、人々はネロが宮殿建設のために放火したと噂した。

それを否定するために、ネロはキリスト教徒に罪を被せて処刑したのだ。

そもそも彼が皇帝となったのは、母アグリッピナの策略であった。

彼女が皇帝の後妻に入り、溺愛する息子ネロを皇帝の座に就けたのである。

当初、補佐役のセネカの助けで善政を敷いたが、母と息子の間に確執が生まれ、アグリッピナを殺害。

これを境に、ネロの暴走はますます激しくなった。


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