翌年の1967(昭和42)年は、逆に193万人と57万人も出生数が増えている。
これは日本や中国で60年ごとに繰り返されてきた出来事で、原因は1966(昭和41)年が十干十二支の丙午(ヒノエウマ)にあたっていたことにある。
陰陽五行説では、「丙午の年には火災が多い。
この年に生まれた女性は、気性が激しく災いをなす」という俗信があり、江戸時代に大火を引き起こした「八百屋お七」が、丙午生まれといわれたことから、庶民にも広く信じられていた。
この年の出生数は、前回の丙午である1906(明治39)年の139万人よりも低い。
テレビなど情報通信手段の普及により、俗信がより広まりやすい環境にあったためと考えられている。
写真は、歌川豊国作「八百屋お七」。
