日本の航空史上に残る最悪の1年とは? シティハンターのブログ煜 意外に知らない日本史! | シティハンターのブログ

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1966年2月4日、全日空のボ-イング727型機が羽田沖の東京湾内に墜落。

乗員乗客133人全員が死亡し、単独機事故としては、当時世界最悪の航空機事故となった。

しかし、この年はその後も、3月4日にカナダ太平洋航空(現エア・カナダ)のDC-8型機が、羽田空港の防潮堤に激突し、64人が死亡。

翌5日には、羽田を離陸した英国海外航空(現ブリティッシュ・エアウェイズ)のボ-イング707型機が、富士山上空で空中分解し、124人が死亡。

さらに8月26日には、日本航空機が羽田空港を離陸後に墜落し、5人が死亡。

地方でも9月18日に、全日空のフォッカ- F-27型機がオ-バ-ランして海中に転落し、1人が負傷。

11月13日には、全日空のYS-11機が松山空港沖に墜落し、50人が死亡。

遭難者を捜索中のヘリコプタ-も事故現場に墜落し、4人が死亡した。

まさに、日本の航空史上最悪の1年となったのである。

写真は、墜落した全日空のボ-イング727型機。

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