1959年の12日間にわたる訪米では、アメリカのドワイト・アイゼンハワ-大統領(在職:1953~1961年)と会談。
アメリカの文化に積極的に触れ、世界に向けて「完全軍縮」を提唱。
これは「すべての国が核兵器を含む全兵器を4年以内に破棄する」という画期的な内容で、大きな話題になった。
しかし、国内では経済計画などの内政が場当たり的だとして批判されており、事実、1963年には穀物生産量が前年比23%も減少する事態を招いている。
実は、外交面でも場当たり的な側面は多く、アメリカに接近する一方で中国との関係を悪化させたほか、肝心の米ソ関係も1960年の「U-2型機撃墜事件」(領空侵犯を繰り返していた米偵察機U-2をソ連が撃墜)により再び悪化。
1962年のキュ-バ危機では「核戦争の一歩手前」という状況を作り出し、世界中を震撼させた。
写真は、フルシチョフ(左から2人目)。
