というのも、亡くなった時点で、彼女の40人の孫と37人の曾孫がヨ-ロッパの諸王室と婚姻関係を結んでおり、イギリス王室を中心としたケイ閥を築き上げていたからである。
女王は影に日向に影響力を行使して列強間の均衡を保ち、「ヨ-ロッパの祖母」と呼ばれていた。
このため、女王という求心点を失ったヨ-ロッパでは、イギリスとドイツを主軸に勢力が二極化し、ついには、ともに彼女の孫であるイギリス国王ジョ-ジ5世(在位:1910~1936年)と、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(在位:1888~1918年)が、第一次世界大戦(1914~1918年)で争うことになったのである。
写真は、ビクトリア女王。
