対する藩閥の有司(官僚)が主導する政府は、この運動を沈静化させるべく、壮士たちは「壮士芝居」と呼ばれる演劇に仮託して、政治的なメッセ-ジを広める戦略をとった。
この壮士芝居の中で歌われた「ダイナマイト節」や「ゲンコツ節」「ヤッケロ節」といった歌は「演歌」と呼ばれ、人気俳優の川上音二郎(1864~1911年)が歌った「オッペケペ-節」は一大流行歌となった。
その後、自由民権運動が下火になるにつれ、演歌の歌詞は政治的なものから、男女の恋などを歌ったものへと変化していき、歌謡曲として演歌(艶歌)へと発展していったのである。
写真は、川上音二郎。
