血税一揆を引き起こした、不平等な免役条項とは? 意外に知らない日本史! | シティハンターのブログ

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「徴兵令」(1872年)の制定により、満20歳の男子に徴兵検査が義務付けられ、抽選により3年間の兵役が課せられた。

ところが、徴兵令布告の文面に「血税(徴兵を意味する)」という耳慣れない言葉が使われていたため、「検査で生血を搾られる」という噂が広まり、西日本を中心に「血税一揆」と呼ばれる徴兵令反対の暴動が起きた。

もっとも暴動の背景には、こうした勘違いだけではなく、農村の労働力低下と免役条項への不満もあった。

免役資格は代人料270円を納入できる者とされるなど、富める者に有利な内容であったため、貧しい農民たちはこれに猛反発したのである。

徴兵令制定から1年ほどの間に、全国で20件近い「血税一揆」が起き、岡山県で起きた「美作(ミマサカ)の一揆」では、約2万6000人が処罰(死刑15名を含む)されている。

また、「徴兵免役心得(チョウヘイノガレノココロエ)」なる徴兵逃れのマニュアルはベストセラ-となった。


写真は、徴兵免役心得。


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