酷寒の大地から広まった嗜好品とは?意外に知らない日本史! | シティハンターのブログ

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津軽藩が警備を担当したのは、蝦夷地(現・北海道)の最北端に位置する稚内の地であった。


厳冬下での警備は、非常な苦役であり、津軽藩兵は、ビタミンB1不足などが原因の「浮腫病」とよばれる病気で、次々と倒れていった。


しかし、北方には南下を狙うロシアがいるため、北辺警備を疎かにすることはできない。


そこで、幕府が津軽藩兵たちに支給したのが、浮腫病に効果があるとされた「コ-ヒ-」であった。


コ-ヒ-にはビタミンB群が含まれているため、黒く炒った「和蘭(オランダ)コ-ヒ-豆」を潰して、袋に入れ、これを番茶のように煮出して飲むようになると、浮腫病は見事に激減。

眠気を抑えるカフェイン効果も注目されて、津軽藩兵を中心に愛飲者が増えていった。


これが、日本におけるコ-ヒ-飲用文化の始まりとされ、現在、宗谷岬の宗谷公園内には、コ-ヒ-豆がデザインされた「津軽藩兵詰合記念碑」が建立されている。


写真は、「津軽藩兵詰合記念碑」(ツガルハンヘイツメアイキネンヒ)。


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