北陸屈指の豪商家を断絶させた加賀藩の冷酷無比な判断とは?意外に知らない日本史! | シティハンターのブログ

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銭屋五兵衛(1773~1852年)は、海運業で財を成し、加賀藩の御用商人となった豪商である。

そんな銭屋が請け負っていた河北潟の埋め立て工事で、死魚が発生し、それを食べた住人が中毒死する事件が起きると、加賀藩は「銭屋が毒を流した」として一族を捕縛。

五兵衛は獄死し、息子も磔刑に処された。

実は、銭屋は加賀藩の家老と結託し、鎖国政策に反してロシアなどと密貿易を行い、巨利を得ていた。

しかし、幕府の密貿易摘発が厳しくなると、発覚を恐れた加賀藩は、手のひらを返すように密貿易の罪を銭屋に被せることにしたのだ。

また、銭屋から没収した莫大な財産は、窮迫していた藩財政の立て直しに使われたとされる。

写真は、銭屋五兵衛。


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