今も昔も変わらぬ庶民の夢「富くじ」の賞金は最高1000両!意外に知らない日本史!「富くじ」は営繕費捻出の手段として、寺社だけに興業が許されていた江戸時代の宝くじである。天保年間(1830~1844年)には 、「江戸の三富」と呼ばれた谷中感応寺、目黒不動、湯島天神を中心に、江戸市中の寺社が競うように「富くじ」を発売していた。当籤金の最高額は1000両で、毎日のように一攫千金を狙う、庶民のお祭り騒ぎが繰り広げられた。しかし、あまりの熱狂ぶりを警戒した幕府は、「天保の改革」(1841~1843年)に際して、富くじを禁止した。但し、本当の理由は、利益を得た僧侶が遊蕩に耽ることを危惧したためだとも言われている。画像は、「摂津名所図会」内、富くじに興じる人々。