これに周辺住民が異を唱え、1726(享保11)年からは渡橋銭を徴収して自主管理を始める。
しかし、それだけでは維持費には足らず、橋は年々老朽化。
そして、ついに悲劇が起こった。
深川八幡の祭礼の日、行列が橋を渡り始めると、両岸から祭り好きの町民が殺到。
橋の上は身動きができない状況となった。
それでもなお、群衆が橋に押し寄せたため、重さに耐えきれなくなった橋は中央部から崩落し、死者900人、行方不明者600人を出す世界最悪の橋梁事故となったのである。
江戸っ子がこれほど祭りに熱狂しなければ、崩落は避けられたとも言われている。
写真は、永代橋。
