この宿場が廃止された原因の一つとして、旗本・内藤新五左衛門の弟が同地で町人に袋叩きにあったことが挙げられている。
怒った新五左衛門は弟を切腹させ、「町人に愚弄されるのは武士の恥。ゆえに弟を切腹させた。かわりに内藤新宿を廃止しろ」と幕府に迫ったのだ。
新五左衛門の言にも一理あると判断した幕府は1718年、内藤新宿(甲州街道第一宿、現・東京都新宿)を廃止。
以後、甲州街道の第一宿は高井戸宿となったが、江戸市中から遠く、宿場の住民や旅行者から不満が続出したため、幕府は1772年に内藤新宿を復活させた。
以後は廃止前にも勝る活況を呈し、今日の新宿歓楽街のル-ツとなった。
