近代化推進なために西欧に派遣した視察団は総勢約250人と言われ、自らも名を偽って18カ月にわたる視察に同道した。
帰国後、西欧化政策に取り組んだピョ-トル1世は、貴族のあごひげを剃り落とさせ、暦をユリウス暦に変更、服装の西欧化などを義務づけた。
一気に進められた西欧化に貴族たちが従った理由は、率先垂範をモット-とするピョ-トル1世の姿勢にあった。
視察では、一見習い工としてイギリスの造船所で3カ月間も働き、その他にも大学や病院、美術館などの先進施設を精力的に廻ったのである。
帰国後も各国の専門家を招聘するなど、勉強を怠らなかったと言われている。
1698年
ロシア皇帝ピョ-トル1世がヨ-ロッパ視察旅行から帰国し、ロシアの近代化を推し進める。
