江戸時代前半の日本では、862年に中国の唐から移入した「宣明暦」が使われていた。
しかし、800年以上にわたる使用で実際の天行より2日のズレが生じており、新暦の必要性が高まっていた。
そこで、暦法家の渋川春海が「貞享暦」を策定して、朝廷に上表。この暦は中国の「授時暦」を基に日本と中国の経度差を補正・改良した、日本人による初の暦法廷だった。
しかし、朝廷は明の「大統暦」を採用。これを不服とした第5代将軍・徳川綱吉(在位:1680~1709年)は、それぞれの優劣を「天体観測合戦」として競わせた。
その結果、渋川春海の新暦の正確さが実証され、以後、朝廷の手にあった編暦の実権も幕府に移管されるようになった。
1683年
天文学者の渋川春海(1639~1715年)の「貞享暦」が新暦として採用される(新暦移行は1685年)。
これぞ正しく
「天地明察」