挿絵を芸術の域まで昇華させた希代の画家「菱川師宣」意外に知らない日本史! | シティハンターのブログ

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17世紀後半、仮名草子(仮名で書かれた庶民の読み物)に挿絵師が描いた絵が添えられた絵草子が巷間で人気を集めていた。

そんな中で初めて出版物に挿絵師の名が記されたのが「武家百人一首」であった。それまでは挿絵師の記名は許されなかったが、菱川師宣の挿絵が単なる説明図ではなく、芸術作品と言える域にまで達していたためだという。

やがて師宣の挿絵版画は単体でも販売されるようになり「浮世絵」と呼ばれた。その後、「見返り美人」などの代表作を残した師宣は、今日では浮世絵の開祖とされている。


1672年
絵師・菱川師宣(生年不詳~1694年)の署名入り絵草子「武家百人一首」が刊行される。