ルイ14世がベルサイユ宮殿への首都機能移転を決意した背景には、貴族階級が起こした「フロンドの乱」(1648~1653年)の影響があったとされる。
1648年、ル-ブル宮殿に反乱軍が侵入。当時10歳だったルイ14世はあやうく殺害されそうになり、パリを脱出して国内各地を転々とした。
この幼少期の忌まわしい記憶はルイ14世の人格形成に大きく影響したと言われ、以後、ルイ14世は貴族たちを憎むようになった。
また、受難の地であるパリの町自体も嫌悪するようになり、親政を開始した1661年には、さっそくベルサイユで完璧な防備の新宮殿建設に着手している。
1672年
フランスで、ルイ14世(在位:1643~1715年)がベルサイユ宮殿へ宮廷及び行政機能を移転し始める。