「龍馬暗殺の真相」黒幕は会津藩!?ここまで分かった日本史! | シティハンターのブログ

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慶応3年(1867)11月15日夜、京都河原町の近江屋で、坂本龍馬は中岡慎太郎と会談中、刺客に襲われ暗殺された。その犯人をめぐっては、これまで様々な説が出てきている。

暗殺直後は、新撰組説があったが、確たる証拠は出なかった。数年後、京都見廻組関係者から犯行の自供者が出た。

この自供については、矛盾もあり謎に包まれている部分も多いが、今日では、実行は見廻組説でほぼ固まりつつある。

問題は、見廻組に指示した黒幕は誰かということである。

これについては、西郷隆盛黒幕説というのがある。龍馬は、11月の段階で、大政奉還を進める幕府要人と緊密に接近しており、それが討幕を目指す西郷にとって邪魔になったというものである。

論理的にはもっとものように見えるが、暗殺はリスクを伴うものであり、西郷にはそこまでの緊急性はなかった。

その他、いろは丸沈没で多額の賠償金を取られた紀州藩説や、土佐藩説などがあるが、その動機や緊急性は薄い。

今日では、見廻組の指揮命令系統からみて、幕府の大政奉還に反対していた会津藩が指示したとみる説が出されている。