月代(さかやき)とは本来、兜の着用時に頭皮が蒸れるのを防止するために登頂部を剃りあげた、戦時における武士の髪型である。しかし、江戸時代になると月代は町人の間にも定着し、多くの男子の身だしなみとなった。
そのため現在の理髪店にあたる「髪結床」が大繁盛。市中では、橋のたもとや空き地などで勝手に営業する者も現れた。これに対し、江戸幕府は1町に1軒に限って髪結床の営業を認める措置をとったのである。
さらに幕府は髪結の師匠に年間金2両、弟子には1両を上納させる仕組みをつくることで髪結床の数を減らそうとした。
ところが、髪結床は上納金を払っても十分に儲かる実入りのいい商売であり、後にはその営業権が高額で取引されるようになった。好立地の店ならば、その額は実に1000両にものぼったという。
1658年
幕府が髪結床に営業権を設定して、1町1軒に統制する