江戸幕府は、キリシタン禁教政策の一環としてポルトガル人を隔離するため、長崎の有力商人に命じて出島を造営させた。
しかし、幕府が1639年にポルトガル船の来航を禁止したため、出島は無人島となってしまった。出島を造営した商人たちはポルトガル人を店子として家賃収入を得ていたため、この措置には困り果てたが、彼らは幕府に働きかけて新たな店子を獲得することに成功する。
1640年、幕府は平戸のオランダ商館を臨検し、「倉庫に西暦年号が記されるのは不届きだ」として、出島への移住を命じたのである。この事件はオランダ人を出島に住まわせる口実にすぎず、長崎商人たちが裏で糸を引いていたのである。
1634年
長崎商人が幕府の命により、長崎港内に出島を築造(1636年完成)