1604(慶長9)年、徳川家康によって制度化された朱印船貿易は、有力商人や西国の大名に対して認可され、朱印状を携えた貿易船は東南アジア一帯にまで派遣された。
渡航先は、台湾をはじめマカオ、タイ、フィリピン、ボルネオにまで及び、有力な港町には日本人町が建設されるようになった。
こうした町には日本人駐在員が置かれ、彼らは取引先を次々と開拓。その結果、日本の貿易額はポルトガルやイギリス、オランダを上回るようになったのである。
この背景には、商習慣の違いがあったという。日本の商人は、契約が成立するといくばくかの「手付け」を現地人に渡していた。他の国々にはないこうした習慣が、現地の人々に大歓迎されたのである。
1620年
この頃から、日本の朱印船貿易が急速に拡大