鉄砲を国内で製造しようとした種子島領主の種子島時尭は、刀工の金兵衛に複製を命じた。
  しかし、未知の技術が使われていたため、銃身の後尾を塞ぐ部分がどうしても造れなかった。
  ポルトガル人はこの技術を秘密にし続けたが、金兵衛の娘で島一番の美人と評判の若狭を見て、若狭を差し出すならば技術を教えようと申し出たのである。
  泣く泣く娘をポルトガル人のもとに送った金兵衛は。ついに鉄砲の国産化に成功した。
  その秘密とは、ねじ製作のための「ねじ切り技術」だったのである。
  その後、日本は約半世紀後には世界有数の鉄砲保有国となったが、その最大の功労者は、この若狭だったのかもしれない。
1543年、種子島にポルトガル人が漂着し、鉄砲が伝来!