14世紀初頭に発見されていた石見銀山では、鉛を用いて不純物を取り除く最新の精錬技術「灰吹法」が導入されたことで、産出量が一気に増加した。
大内氏、尼子氏、毛利氏といった各有力大名の間で激しい銀山争奪戦が繰り広げられ、これらの大名たちが軍資金を確保するために坑道を伸ばし続けた結果、17世紀初頭の日本は世界の銀の3分の1を産出する国になっていた。
石見銀山は佐摩村にあったことから、ヨ-ロッパでは石見産の銀は「ソ-マ銀」の名で知られ、また、16世紀後半のポルトガルで作られた「ドラ-ド地図」には「銀鉱山王国」と記されるなど、その名は世界に轟いていた。