怪しげな術に凝りすぎた室町後期の権力者!意外に知らない日本史! 菅領の細川政元は、1493年、「明応の政変」を起こして将軍・足利義材(ヨシキ)を追放し、11代将軍に足利義澄(在位:1493~1508年)を擁立して傀儡政権を打ち立てたため、「半将軍」などと呼ばれた。 しかし、この政元はいささか奇行の多い人物だったようで、空を自在に飛ぶ修験術などを身に付けようとしたと伝わっている。 また、修行の邪魔だとして女性を寄せ付けなかったために実子がなく、3人の養子を迎えたが、後に家督争いが勃発。養子の一人である澄之の家臣らによって暗殺されてしまった。