相撲vs.柔道!昭和の巌流島対決に決着!力道山、木村を下す!昭和29年にタイムスリップ! | シティハンターのブログ

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今年は日本中にプロレス旋風が吹き荒れた年だったが、その締めくくりとして、12月22日に世紀の一戦が行われた。かつての盟友・力道山と木村政彦が日本一の座をかけて闘ったのだ。

2月の対シャ-プ兄弟戦では、タッグパ-トナ-として手を組んだ力道山と木村政彦。しかし、この試合で注目を浴びたのは力道山ばかりで、結果的に引き立て役になってしまった木村は、その後、力道山と袂を分かって故郷の熊本に引き揚げ、5月に「国際プロレス」を旗揚げした。そして11月、「朝日新聞」紙上で「力道山のレスリングはショ-だ」「実力なら自分は力道山に負けない」と声明したのだ。

これを読んで黙っているような力道山ではない。「プロレスは真剣勝負だ!」と怒りもあらわに、木村の挑戦を受けて立った。

こうして決まった力道山対木村政彦の世紀の一戦は、日本選手権試合と認定され、11月27日に調印式が行われたが、その日以後、人々の話題はこの試合で持ちきりとなった。

プロレスの試合ではあるが、大相撲と柔道それぞれの世界で大きな実績を残してきた両雄が、決闘ム-ドの中で闘うのだ。新聞も試合を「巌流島の決闘」に見立て、「相撲が勝つか?柔道が勝つか?」と連日のように勝敗を予想。テレビでは日本テレビが、ラジオではNHKがそれぞれ実況中継することになった。

そして迎えた12月22日の決戦当日。超満員の観衆を集め、異様な雰囲気に包まれた蔵前国技館のリングで二人は対峙した。

試合序盤は、二人とも思ったより冷静で、投げ技や固め技の応酬を展開。空手チョップや蹴り技、当て身といった荒っぽい技は全く出ない。

その流れが急転したのは15分過ぎだった。ロ-プ際で追い込まれた木村が、力道山の股間に爪先蹴りを見舞ったのだ。

わざとやったか、たまたま急所に当たってしまったのか、それはわからない。だが、この反則攻撃によって力道山の怒りに火がついた。

木村に猛然と襲いかかった力道山は、それまで封印していた空手チョップとキックを立て続けに浴びせていく。なすすべもなく、ロ-プにもたれるようにひざまづく木村。

それでも力道山の猛攻は止まず、グロッキ-になった木村を、リング中央に引きずり出し蹴りまくる。どうにか立ち上がった木村は、逃げるようにコ-ナ-に後退する。

しかし、その顔面に力道山は容赦ない空手3連発。マットに倒れ込んだ木村はもはやピクリとも動かなかった。

3本勝負の1本目は15分49秒、力道山のKO勝ち。2本目は木村に戦意がなく、そのままドクタ-ストップの判定が下され、決着がついた。

しかし、観客からの歓声はない。フォールによる綺麗な決着を望んでいた観客にはらあまりにも凄惨な幕切れ。後味が悪すぎたのだ。

その上、翌日の「毎日新聞」に、木村が試合中に引き分けを申し込んできたという力道山のコメントが掲載されたため、ファンの不信感は募るばかり。木村はそんなことは言っていないと否定したが、何だかモヤモヤが残る結果になってしまったのは否めない。