浅草の仲見世ではないが、店というのは、商品を見せる場所であって、製造元の造る場所と区別していたもので、微妙にポテンシャルの移動で、付加価値を高めていたように思える。
肉にしても、あらゆる食べ物、飲み物も、昔は作っているところをみられると種明かししているように秘め事、楽屋話との区分率がいきていて、「鶴の恩返し」のように機織をしている様子は企業秘密だったのでしょう。
音楽にしても、作詞作曲、歌手は別れていたものが、最近は、自分で作って、自分で歌っている。
それだけ器具類が一般化して、境界線が低くなったせいかも知れない。
今の時代、地球から秘境が消えたように隠すものもなくなったのかも知れない。