レイキをしても根本的なヒーリングが出来ないと感じたと書きました。
私はレイキをして、体感がより鋭敏になりましたし、表面上のヒーリングはできていたように思います。
その中で疑問に感じることがありました。
レイキを伝授した人に自分でやっても、私がした時のような変化がないというようなことを言われたのです。
私のレイキと彼女のレイキ、違うのか?
人によって降ろしてくるエネルギーの質が違うのだろうかということです。
レイキを始めた人は臼井甕男さんですが、修業の最終段階で悟りを得て、その後鞍馬山を下りた時にできた傷に彼の手を当てるだけで痛みや傷が収まったことから始められたものです。
彼はレイキを広めると言いながら、同時に一部の人しかサードまでの伝授をしませんでした。
これはなぜなのか。
これは私の考えですが、彼はわかっていたのではないでしょうか。
その人の波動がどの程度であるかによって、或いは5次元レベルであるかどうかによって、伝授を許可するか否かを決めていたのではないか。
全てのエネルギーの基礎であるファーストやセカンドの第1(肉体・3次元レベル)、までは誰でも行けたでしょう。
第2(心・4次元レベル)もほとんどの人がなんとか行けたでしょう。
でもセカンドの第3シンボルとサードは高次の領域・5次元領域であるので、つまり神の領域、悟りの領域であるため、ここを真に認知していない人にはそのエネルギーを降ろすのは無理だったからではないでしょうか。
レイキは今誰でもが伝授を受ければ簡単に出来るように、扱えるようになるエネルギーとされています。
でも本来は、創始者はそうは考えてはいなかったのではないでしょうか。
セカンドに進む前に、私は自分を、彼女たちを自身を内観することでクリアにしているべきでした。
結局私のエネルギーは私なりのエネルギーで、彼女のエネルギーは彼女のエネルギーだったのだと思います。
そして、そもそも5次元の悟りのレベルであれば、マントラもシンボルも必要はないのでしょう。
レイキに限らず、天使や聖人たちの名前が付けられたエネルギーも、誰かに教えて貰った方法で降ろす必要はないのではないか。
悟りの領域に入っているのであれば、神と直接繋がり、必要なエネルギーを自由に形式にとらわれず、降ろすことができるのではないかということです。
トレーシーはエネルギーヒーリングの何かをするということやマントラやシンボルのように何かを使うということも否定していました。でも臼井さんはマントラとシンボルを用いるレイキについて、最終的にはそれを使わずに降ろすことができるとおっしゃっていたようです。
つまり臼井さんが理解していなかったわけではなく、それが伝授されるうちに、一番重要なところが抜け落ちてしまったのではないか、私は今そのように考えています。
私や彼女のレイキで癒すことができなかったのは、根深く残った集合意識のような種類のものではないかと思っています。
ここを癒すには自分をまっさらにして、本来の自分に戻ること、それが必要でした。
それを得意とするのは瞑想による内観での気づきです。
だからトレーシーは誰かを癒すにはあなたの夢は何かと聞けばいいのだと言ったのです。
自分が今世どのような目的で生まれてきたのか、制限を取り除いたそのとき、その答えは見えてくるでしょう。