【過去記事/加筆・修正】

 

『史記』の「亀策列伝」を読む。

 

「亀策列伝」は占いの書だ。それは疑似科学でオカルトであり、なんともその世界に引っかかりがなければ、とっつきづらい内容だ・・。

 

そもそも『史記』『論語』といった中国の古典は、当時の中国の思想や社会の仕組みを知っていなければ読んでいても退屈で、人生訓を活かすためにチャレンジしてみるものの、痛い目にあう人は多いんじゃないだろうか・・。そんな厄介なものに挑んで、さらに「亀策列伝」だからダメージは半端ない。

 

その「亀策列伝」を何度も読んでいる。半歩~一歩と前に進んでいるような感じはするものの、いまだにピンと来ないゴータイなのだが、ひとつ「亀策列伝」の読み方として補助線となるものを見つけた。

 

それが「日者列伝」。「亀策列伝」は列伝の「68巻」でその前にあるのが「67巻」の「日者列伝」。「亀策列伝」を右往左往・袋小路に突き当たりながら読んでいるうちに、前にある「日者列伝」を読むと、「亀策列伝」のプレ解説書というか入門の入門というかそんな手助けをしてくれた。

 

「斉・楚・秦・趙の日者(卜筮占候)は、その習俗によって方法がちがう。したがって、その大旨を観ようとのぞんで、日者列伝第六十七をつくった。」――史記列伝 「太子公自序(第70)」――

 

「日者列伝」の内容は↑の「太子公自序」から引用したが、老荘思想が存分に盛り込まれていた。「亀策列伝」を何度も読んでいるうちに、「日者列伝」が巷のビジネス書や啓発書のようなわかりやすい(良い意味で)中身で、助けになっている。
 
ところで、某YouTube大学の諸子百家編をみたが、ザックリ「論語と老子で十分だ」みたいなことを言っていた。それは当たっているとおもう。あとは易経に触れれば、なおよろしい(易経は易経で骨が折れる・・)。
 
また、史記が書かれた武帝の時代の「孝武(武帝)本紀・封禅書(タイトルは違うが、内容がそっくり。亀策列伝の文体はここから来ているとおもう。)」や史記列伝の「老子韓非列伝(老子ヒストリー)」でもいいかもしれない。
 
さらに、史記の著者は司馬遷なのだから、司馬遷自身に迫るのがいい(『司馬遷』武田泰淳)。
 
by ゴータイ

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