2010年9月20(月) - 1 -

今日は10時30分ごろ八戸発の新幹線で東京に帰る予定。
駅に向かう前に母が入院している病院に立ち寄り、布団の上から軽く腕に触れ、心の中で頑張ってと声をかけて病室をあとにした。


この病院はなんでも年内に移設予定らしく、新しい病院が郊外に建設されているという。母もそのうち新しい病院に移動することになるだろう。電車の時間までまだ余裕があるので、移設先である新しい病院を見に行くことにし、そのあと駅に向かった。


駅について三連休を振り返って、なんというか、こーいうことってホントにいきなり訪れるものなんだな。と。
たしかに母は、以前から言っていた。


「私だってもう年なんだから、いつ、いきなり倒れるかわからない。いざとなったらアンタが全部一人でやらないといけなんだよ。人に任せておいたら、どさくさにまぎれて全部持っていかれちゃうんだから」と。


確かに、人にやらせると持っていかれる。事実である。
しかし、人に任せるとまでいかなくても頼らざるを得ないのも実情。
自分は東京に戻らないといけないし、ずっと滞在することは非常に困難だからだ。


正直、不安のほうが多いが、父と、昨日掃除に来た妹2名を頼るほかない。
2010年9月19日(日) - 4 -

主治医からの説明を受けた後帰宅をし、17時にやってくる予定の外人さんの到着を待った。


が、17時になってもやってこない。
もしかして、昨日の夜にお食事を届けに再度やって来たから今日はこないのだろうか・・・?
彼には、母の病状を逐一教えてあげたいから、是非とも連絡先を確認したいのだが…。昨日の時点で連絡先を確認しなかったのは痛恨のミスだ(だって今日も来るって言ってたんだもん)。


外人さんはきっと時間もけっこうアバウトなんだよ。
そんなハナシを妻としていたら、18時30分頃だっただろうか。その外人さんはやってきた。しかも、昨日同様お食事を持ってきてくれた!


忘れないうちに連絡先を確認し、こちらの外人さんと予定どおり会食をしたときに渡すつもりでいたプレゼントを渡して(昨日渡し忘れた)お別れした。


持ってきてくれたお食事を確認すると、それはそれはとんでもないご馳走だった!
生まれてから今日までの間に、こんな肉をお店でも、レストランでも見たことない。
50センチはあろうかというスペアリブが連なったお肉だ。私達のために今日も作ってきてくれたのだ!


なかなか上手くコミュニケーションはとれないのに、そして、母に、ではなく、母の息子である私とその妻にここまで良くしてくれる。とても嬉しい。英語を話せるようになりたいとも思った。


どのようにすれば、ここまで人に対してしてあげたいと思わせる人間になれるのだろう?
母はいったいどんな人づきあいをしてたのだろうか。
2010年9月19日(日) -3-

掃除をしに来た略奪部隊が撤収したあと、私と妻と父とでご飯を食べに行った。


小さな街なのでこれといったものはないのだが、B-1グランプリでお隣の十和田市が出展しているバラ焼きを食べたいと思った。このバラ焼き、発祥地は十和田市ではなく、三沢市だと聞き及んでいるし、さらに発祥のお店は私が幼いころからある『赤のれん』というお店だ。(きしくも本日は神奈川県厚木市ではB-1グランプリが開催されていたはずである)


本日は航空祭の開催日でもあり、基地周辺は混雑しているかも?と思ったが、予想より人は少なかった。雨の影響もあったのかもしれない。が、赤のれんの店内はけっこうな人だ。本当にタイミングが良かったと思う。自分達は待ちナシで着席できたが、後から来る人が絶えず、入口周辺で入場待ちをしている。


さて、本ブログの趣旨とは大きくはずれるけども、せっかくだから軽く説明しておく。
私が最後に行ったとき(約 15 年ぶり?)と比較して、お店が改装されてキレイになっていた。店内には、4人組みのグループが 15 組ぐらい入れるかないれないか?といった感じ。お値段はけっこうリーズナブルに感じた。バラ焼き定食を3人前頼んで約2700円ぐらいだったと思う。とんでもない量がでてくたのでびっくりした。
(3人前といっても、3人分のバラ焼きが1人前ずつでてくるわけではなく、大きなお皿にドン!って感じで3人前でてくる。けっこう圧巻)
料理自体は、バラ肉と玉ねぎを自分達で焼いて食べるというシンプルなものだし、肉よりも玉ねぎが圧倒的に多いんだけど、この玉ねぎが美味しい。びっくりした。
尚、駐車場はなかったと思う(航空祭当日で路駐が多かったため、それに紛れて路駐しました…)。


結局3人で3人前を食べきることなくおなかいっぱいになり、お店を後にして病院に向かった。


休みの日だけあって、当然のことながら院内の人は少なく、受付等の照明が落ちているため、余計に重苦しく感じる。ハッキリ言ってしまうと、病床の母に会いに行くのがとてもツラいし、イヤだ。行ったところで何もできないし、その姿を見るのがとてもツライのだ。


その気持ちを押しのけて、母のところまで行くと、実際に母の心臓のオペを行った先生が居た。息子さんなら説明しておかないといけないね。ということで、主治医の先生から説明を受けた。ハナシを聞いてから随分と時間が経過してしまったので、間違ったことを書かないように、確実に耳にしたことだけを以下に箇条書きにする。

・心筋梗塞で倒れた。
・心臓には大きな血管が3つ通っていて、そのうちのどれか1つ以上が詰まって血液がいかなくなる状態を心筋梗塞という。
・3本の内の2本は上流で1つになっているが、母の場合、この1つになった場所で詰まってしまったため、3本のうちの2本の血管に血液が流れない状態の心筋梗塞となった。
・あえて確率で言えば、81%は助からない状況だったし、術中もいつ亡くなってもおかしくない状態、手術は成功したけど、手術後も助かるか、助からないかは50%の確率で、良い知らせはできなったし、正直わからないとしか言えなかった。
・けれども、今日の段階(倒れてから2日ちょっと)では、昨日よりは良いこと言える。70%は大丈夫な状態になった。
・とはいえ、超重症で助からないという位置から、重症という位置まで戻ってきただけで、絶対に大丈夫とは言い切れない。それが30%もある。
・脳への障害は無いように見える。
・けれども、順調に回復していった場合、身体のどこかに必ず後遺症は残る。でも、どこに出るかは意識が回復して、起きれるようになってみないとわからない。
・病院から近いところで倒れたから、すぐに搬送されて、すぐに手術できたから助かったと言っても過言ではない。病院から遠かったり、近かったとしても、道が混雑してたらダメだったかも。
・心筋梗塞になると、心筋が壊死する。壊死している規模は血液中の酵素の数(量?)によって判別できるが、母の場合、この数値が少ない。これは非常に救いである。けれども、壊死した場所は自然治癒するものではないので、心臓にハンデを抱えていくことになる。(ちなみに、酵素のやつは母は、5000ぐらいだった。10000だか、13000を超えると大変らしい)


これらの説明に加えて、手術はカテーテル手術を行ったことと、血液が詰まっている状態と、術後の血管に血が流れていく様子の術中の動画を実際に見せてくれた(シルエットみたいな感じの動画)。


17日の朝に私が連絡を受けたときは、いつ亡くなってもおかしくないという状況だった。
けれども、2日経過して、70%大丈夫なところまできた。
母の生命力の強さと、生への執念を感じる。
母の「私にはやりのこしたことがある!」という声が聞こえてくるかのようだ。