2010年9月18日(土) - 1 -

東京発7時30分頃の新幹線のため、朝は5時ぐらいに起床する必要があった。
しかし、あまり眠ることができず、浅い眠りと目覚めを繰り返し、しっかり寝ることができたのは3時頃だった。
結局、2時間弱しか休むことができなかった。


- 昨晩、布団に入るまでは、母の知人にメールで状況を知らせていた。

母はWebメールを利用しているし、私は母のアカウントとパスワードを知っているので、母が頻繁にやり取りをしている知人は、受信トレイと送信済みから確認できた。


ただし、私の母の知人はすべてアメリカ人なのである。当然メールも英語で書かなければならないが、私はそこまで英語が得意ではないので、文面は妻にお願いした。


何通か送信すると、続々と返事が返ってくる!
日本の高齢の人よりも、海外の高齢の人のほうがITリテラシーが高いとはいえ、ここまですぐに返事が返ってくると驚きだ。しかも送信先は、アメリカだったり、オーストラリアだったり、ドイツだったりと様々なのに…遠く離れていても、即座に母を案じる返事を送ってくれる。母が築き上げてきた人とのつながりと、母が持つ人望を目の当たりにして、またしても涙があふれそうになった。


ただ、母のメールのやりとりの中には、会食を予定していた外人さんの名前はなかった。
今日の夜、彼のお家で私達夫婦と、母と、外人さんの家族とお食事をする予定だったのに、このままでは連絡がとれないまま、約束を破ってしまう。状況が状況であるだけに仕方ないのだが…


様々な想いを胸に東京駅に向かい、母の妹2人分のお土産を購入し、新幹線に乗り込んだ。
母が倒れてからもうそろそろ24時間経過するが、まだ母は闘っている。