天皇陛下のいとこの寛仁親王殿下が亡くなられ、天皇の一族の中で、天皇の地位(皇位)を継ぐ順番が変わりました。この順番は、どう決まっているのでしょう。【文・相良美成/え・渡辺正義】
◇ポイント
<1>天皇になれるのは男性だけ
<2>天皇陛下の長男の家系が優先し、血のつながりが濃い順
<3>女性天皇を認めようという声も
<4>男性皇族がつくる「宮家」を、女性にも認める話が進んでいる
◇天皇直系の男子だけ皇位を継げる
天皇のあとつぎになれるのは、天皇の血筋を受けた男子だけです。それも「男系男子」、つまり天皇の血をひいた父親を持つ男子だけです。天皇の孫にあたる人でも、天皇の血をひくのが母親の場合は皇位を継ぐ資格はありません。天皇の一族を「皇族」と言い、皇族に天皇を含めて「皇室」と呼びます。皇位を継ぐ順番などの取り決めは、「皇室典範」という法律で決まっています。
◇長男の皇太子が第1位
天皇陛下の子や孫が優先して皇位を継ぎます。その順番の1位は長男の皇太子殿下。皇太子に男子が生まれた場合は第2位となりますが、現時点でお子様は女性の愛子さまだけですので、2位は陛下の次男の秋篠宮さまになります。3位は秋篠宮家の長男の悠仁さまです。
天皇陛下が亡くなられた際、子や孫にあたる男子がいないという事態もあり得ないわけではありません。その場合に備え、陛下と血のつながりの濃い順に、兄弟、叔父、いとこ--まで、皇位を継ぐ順番が決められています。血のつながりの濃さが一緒の場合は、年上が上位になります。
◇女性天皇を認める議論は中断
政府は2005年、女性の天皇や、女性皇族の子どもが皇位を継ぐ「女系天皇」を認めるよう皇室典範を改めようとしました。当時、皇室では40年以上も男子は生まれておらず、このままでは皇位を継ぐ人がいなくなってしまうと心配したのです。しかし寛仁親王殿下が「神話時代の神武天皇から一度の例外もなく『男系』で、今上天皇(今の天皇陛下)まで続いている」と反対するなど、皇室の伝統を重んじる人たちが強く反発しました。2006年に悠仁さまが誕生したことで、女性天皇の議論は、ほとんどされなくなりました。
◇女性宮家をつくるのにも反対の声が
天皇陛下は78歳と高齢になられたため、陛下のお仕事を他の皇族の方々で分担しようという意見が出ています。皇太子殿下より若い皇族は女性が多いのですが、今の決まりでは、女性皇族は結婚したら皇族でなくなります。そこで政府は、女性皇族が結婚後も皇族にとどまり、「女性宮家」を新たにつくるようにしたいと考えています。これに対しても「将来、女性天皇、女系天皇につながりかねない」と反対する意見があります。
●皇室の男子には「仁」の字
皇室の男子の名前は、昔からのしきたりで「仁」の字がつく漢字2文字になっています。天皇陛下は明仁、皇太子殿下は徳仁、秋篠宮さまは文仁という名前です。
これは、源頼朝など源氏の祖先にあたる清和天皇(在位858~876年)の名前「惟仁」が始まりでした。「仁」には「徳をそなえている人」という意味があり、皇族にふさわしいと考えられたのです。
また、天皇と皇太子の子どもに限って、幼いときに使う呼び名をつけるしきたりもあります。皇太子殿下は浩宮、秋篠宮さまは礼宮の呼び名で国民に親しまれました。皇太子ご夫妻の長女愛子さまは敬宮という呼び名です。
●天皇が「宮号」を贈る
天皇の子や孫にあたる男性の皇族は「親王」という称号を持ちます。秋篠宮さまであれば「文仁親王殿下」となります。天皇の子や孫にあたる女性は「内親王」、ひ孫より血のつながりが遠い血筋の子孫は男性は「王」で女性は「女王」と呼ばれます。「宮家」は、結婚などで皇族が独立する機会に、天皇が「宮号(宮の呼び名)」を贈ることでつくられます。
毎日小学生新聞 2012年06月21日