死とその過程の女
エリザベス・キューブラー・ロス
「人生は廻る輪のように」(p11)
こう考えてもらえばいい。わたしはずっと悪評につきまとわれてきた。
いまでも、わたしを「死とその過程の女」とみなす人たちに追いまわされている。
その人たちは、死と死後のいのちの研究に三〇年以上も費やしてきた
わたしを死の専門家だと信じこんでいる。曲解というものだ。
唯一の明白な事実、それはわたしの仕事が生の重要性の研究であるということだ。
孔子は言ってます。
季路問事鬼神、子曰、未能事人、焉能事鬼、曰敢問死、曰未知生、焉知死。
季路(きろ)が死者の魂に対してどうやって仕えたら良いか尋ねました。孔子は、
「まだ生きてる人間に仕える事さえ十分にできないのに、どうして上手く死者の魂に仕える事ができようか。」
と答えられました。そこで季路は死について尋ねました。孔子は、
「まだ生について十分に理解していないのに、どうして死を理解できるだろうか。」
と答えられました。
エリザベス・キューブラー・ロスも孔子も、
死をいたずらに恐れ、思い悩むのでなく、
今を精いっぱい生きることを心がけよと
言いたかったのではないでしょうか。
死は、その生き方に対する答え
となるのかもしれません。
「人生は廻る輪のように」(p11)
こう考えてもらえばいい。わたしはずっと悪評につきまとわれてきた。
いまでも、わたしを「死とその過程の女」とみなす人たちに追いまわされている。
その人たちは、死と死後のいのちの研究に三〇年以上も費やしてきた
わたしを死の専門家だと信じこんでいる。曲解というものだ。
唯一の明白な事実、それはわたしの仕事が生の重要性の研究であるということだ。
孔子は言ってます。
季路問事鬼神、子曰、未能事人、焉能事鬼、曰敢問死、曰未知生、焉知死。
季路(きろ)が死者の魂に対してどうやって仕えたら良いか尋ねました。孔子は、
「まだ生きてる人間に仕える事さえ十分にできないのに、どうして上手く死者の魂に仕える事ができようか。」
と答えられました。そこで季路は死について尋ねました。孔子は、
「まだ生について十分に理解していないのに、どうして死を理解できるだろうか。」
と答えられました。
エリザベス・キューブラー・ロスも孔子も、
死をいたずらに恐れ、思い悩むのでなく、
今を精いっぱい生きることを心がけよと
言いたかったのではないでしょうか。
死は、その生き方に対する答え
となるのかもしれません。
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