本 三代目猿之助(現猿翁)さんと横内謙介さんの「夢見るちから」を読みました。本

メモ 書き物や勉強の予習に追われていたので、ベッドの枕元に置いて寝る前に少しづつ読みました。毎晩、読む度に触発されて睡眠薬代わりには全然なりませんでしたけれど。フフ(*^.^*)
普段はあまり本に棒線を引かないのですが、読み返して心に残った所を書き写しておこうとしたら余りにも多くて、本自体に棒線と付箋をつけてしまいました。

クラッカー 歌舞伎界に停まらず、人間の生き様を把握した創造への情熱とそれを実践する勇気と、歌舞伎へのあくなき探求心と歌舞伎界でのご自分の置かれた状況を客観的に把握して、前進された賢明さ。
そして、横内さんとご一緒に明治からの日本演劇の変遷を判り易く語られています。

ひらめき電球 横内さんが後書きで仰有っていますが、対談後猿之助さんから対談記録自体の編集を依頼されたそうです、おかげでテーマ毎に沢瀉屋さんのヴィジョンが明確に伝わってきました。

$Ako の ’ニューヨークつれづれ’

音譜 少し長くなりますが、内容を少し引用させて戴きます。

頑迷なまでに古いものを突き詰めて行くと、一杯に溜まった瓶から水が溢れるように、保持された伝統から少しずつ流れ出てくるものがある。そこに必ず持続する力が生まれてくるということです。

瓶に水が入っているとする。普通は、水をためようと思いますよね。それで、みずが溜まってしまえばそれでいいとたいていの人が思うわけですよ。しかし、水は、溜めてしまえば澱んでしまう。溜めておわるのではなくて、そこから自然に溢れ出るその水の滴りが大切なんです。
これを日本の伝統と照らし合わせると、たいていの人は、瓶の中の水が伝統だと思っているわけですよ。しかし、そうじゃない。いっぱいに溜まっている瓶のなかの水ではなくて、自然と溢れ出す水。その溢れる様態が日本の伝統の本当の姿なのだと思うわけです。

瓶から水がこぼれる様に、持続する力が生まれてくる。そういう力にふとした気紛れや外からの刺激などが意外な新展開をうながす。これが真の前衛の姿である、と。考えてみれば、世阿弥も芭蕉も宗達も利休も、すべて当時の前衛です。

たいていの人は錯覚するんです。伝統というと、守るだけのものだと思ってしまう。しかし、「守る」は「攻める」なんです。攻めなければ守れないんです。
伝統というものをよく考察すると、変わるもの、変わらないもの、変えてはいけないもの、変わらなければいけないものと、この四つが絶対に潜んでいる。その四つに上手く対していくと、「型破りの創造」ができるような気がする。

「夢見る力」というのは、ゴールに入ると云うことではなく、永遠にゴールに向かって努力し続ける力のことです。ゴールなんて当然あるわけではない。また、ゴールを決めるとゴールに入ったとたんに努力を終えてしまう。ですが、ゴールというのを永遠に求め続けていくと、高みに上れる。そういうことが「夢見る力」だと思うんです。


キラキラ ものづくりに携わるすべての人にとって、忘れてはいけない大切なメッセージと思いました。キラキラ

キラキラ 三代目市川猿之助(二代目猿翁)、横内謙介対談
  「夢見るちから」スーパー歌舞伎という未来
   2001年2月15日 春秋社発行キラキラ


クローバー 巻末に、「新•三国志」2001年11月の博多座公演の台本が掲載されています。

皆様、どうぞ良い週末をお過ごし下さい (^-^)/


虹 虹 虹 虹 虹 虹 虹 虹 虹 虹 



読んで戴いて有り難うございました!m(_ _)m
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