2月24日 BAM (Brooklyn Academy of Music) の Harvey Theater で
’ララミー•プロジェクト•サイクル’ のパート1、2時半開演とパート2、7時半開演の通しを観た。(私は13年前のパート1を観れなかったので)

これはアメリカ ワイオミング州 ララミーで1998年に起こったゲイの大学生マシュー•シェパードが虐殺された事件 [ヘイト•クライム Wikipediaでは(Hate crime、憎悪犯罪) 人種、民族、宗教、性的指向などに係る特定の属性を有する集団に対しての偏見が元で引き起こされる口頭あるいは肉体的な暴力行為を指す。] をニューヨークの演出家モイゼフ•カウフマンと彼の劇団 Tectonic Theater の俳優達が事件直後に現地での関係者へのインタヴューを基に創り上げた作品である。パート1は日本でも上演されたとの事だが、ご覧にならなかった方の為あらすじを。

パート1は13年前の事件の時、パート2は事件から10年後に再びモイゼフ•カウフマンと俳優達がララミーを訪れこの10年間に事件が当事者や社会に与えた影響を再び取材した。

幕開きから直ぐに無駄な贅肉の無い演出と演技に引き込まれた。家族、友人、証人、加害者へのインタヴューが進んで行く内にマシュー•シェパード殺害の実情が浮き上がる。証言が進むに連れてまるで目に見えない程の細い針が身体に一本一本刺さってくる様な痛みを覚え、人間同士の偏見による犯罪ヘイト•クライムが如何に無知で空しいものであるかを否応無しに考えさせられる。

パート2は世界中の話題になった事件から10年後、半分は興味本位に事件現場を訪れる人々もすっかり減り、当時は取材に好意的であった人も「もう、終わった事だ。過去は忘れ前に進まなければならない。」と変わっている。 事件の風化は進み保存されていた犯行現場も取り壊される。 しかし、犯人の一人は未だに同性愛者への偏見は捨てられず、若い世代には事件を全く知らなかったり、「お前をマシューが殺されたあの塀に縛り付けて殺してやる」と友人を脅す子供達もあらわている。
只、世論は少し動きはじめ、保守的な共和党下の州議会で同性結婚の許可がおり、マシューの両親は加害者二人の死刑取り消しを「私達の息子はあの二人が死刑になる事はきっと喜ばない」と求めている。事件前は人前に出る事が得意でなかったマシューの母親は積極的なヘイト•クライム阻止の運動家になり、「加害者の二人にも母がいる。私は息子を亡くした哀しみを他人に味あわせたくない。マシューは今も私と一緒にいる、私は彼の為にこの運動を続けて行く。」と力強く告げる。
感傷的で無く、単に真っ直ぐなメッセージに観客席に座る観客(Audiences)は個人(A human)に戻り自分との対話を始め出した様だった。

兎も角、完璧に近いプロダクションで、実際に自身で現場で取材した演出家と俳優達の毛穴から自然ににじみ出る淡々とした焦燥感と静かな怒りが、信じられない現実感、完成度で劇場を充たし、感動させられた。
同じ俳優として、15年かけて演じ分ける複数の役柄を自分自身とここ迄同化させ、尚かつ新鮮さを失わない彼らに惜しみない賞賛を送る。と同時に私達俳優は、資金不足の為稽古期間が平均2ー3週間(舞台稽古も含め。オン•ブロードウェイは除く)に縮小されたアメリカ演劇界の現状にどう対処すべきかを改めて考えさせられた。随分まえにドキュメンタリーで観たモスクワ芸術劇場のたっぷり時間をかける稽古風景、数年前にロンドンのナショナル•シアターで友人が出演した「三人姉妹」は8ヶ月の稽古期間があったそうだ、結果は如実に舞台に現れていた。

奇しくもヘイト•クライムに関しては最近の東京での在日韓国人への嫌がらせや大阪鶴橋での女の子の暴言など、今迄は余り表立った行動をとらなかった差別問題(私が知らなかっただけかも知れない。戦前•戦後には日本国内でかなりあったそうだが)が、日本でも顕在化してきたようだ。

私も日本を出る30年前迄は、部落民の事は聞いた事はあったが実際に目にする事は無く、はっきり言って人ごとだった。ニューヨークへ来て暫くは何を言われているのかが判らなかった事もあるだろうが、アジア人が差別の対象になっているのに気付かないでいた。
10年位たってからだろうか、グリニッジ•ヴィレッジを歩いていた時に出会い頭に乳母車を押している若い白人の女性にぶつかりそうになった。私は思わず 'Watch out! 気をつけて!'と云ったら’YOU, go back to your country, go back to China! あんたこそ自分の国へ帰りなさいよ、中国へ帰れ!' と大声で怒鳴られた。思いもかけない応対にその時はただ唖然とした。少したってから ’アラ、私は今差別の対象になったのだ。でもあの人はアジア人は皆中国人だと思っているんだ。あんな母親に育てられる子供は可哀想だな。’と思ったのを覚えている。
その後、ある大きなコンフェレンスで若い黒人女性が(アフリカン•アメリカンと云わなくてはいけない)職場での不平等を被害者意識一杯で会場中に訴えたのを聞いた事がある。

私の数少ない経験から思えば、差別する方もされる方もお互いに夫々の異なる生活習慣、好み、匂い、判断基準に動物的本能で自己防衛本能が働き拒絶反応を起こし過剰に反応してしまうのと、自分を正当化する為に意識的•無意識的に相手を卑下する為で、主に自分に自信が無く、生活•精神が不安定な人に多くみられるのではないか。特に同じ日本人や移民して来た人を蔑む日本人は、一度外国でマイノリティーとして差別されてみると良いのではないか等。
少し横道へそれた感もあるが、以上が昨夜から頭に浮かんだ諸々である。

このララミー•プロジェクトの中で雪が舞っているマシューの葬儀に、同性愛者差別の人々がプラカードと怒号で墓地の向かいで妨害した時、是を予期していた友人達が平和を象徴する大きな白い翼を付けて妨害者達を無言で囲い込み妨害者達が引いたと云う場面があった。頭の中に浮かんだそのイメージが私にはあくまでも美しく涙が止まらなかった、、、




Ako の 「思いつくままに」, just what I utter....-Laramie Project Cycle.