いつもご訪問を頂きまして、ありがとうございます (๑•᎑•๑)♬*゜

 

先日配信させて頂きました課題に関しまして、その後また色々と語られた事がありましたので、前回に続き追記で発信させて頂きたいと思います。記事にするべきか迷ったのですが、やはり重要な内容となると思われるので、どうかお付き合いいただけたなら幸いです。

 

 

 

 

この世で常識と思われている重大な事柄ほど、悪しきものが放った大嘘とまやかしで溢れていると、日に日に気づかされる事が多い昨今です ( ´;ㅿ;`)

 

イエスキリスト十字架に関する一番肝心と言っても過言ではない事柄でさえ、重要な真実として一般に信じられていない事なども、良い証拠の一つではないでしょうか涙汗

 

また、神がこの世界を創造したという「創造論」を隠すための「進化論」などに関しても同様ですね
(その他、多々思い当たりますが、今回は控えさせて頂きます
<(_ _*)>)

 

 

重要なる「真実」であればあるほど、悪魔側にとっては知られたくない事実に違いないのです。

 

そして真実が拡散されないよう、ありとあらゆる方法をとって、それらを阻止するのだと思われます表情


 

現在、世間一般に知られており、信じられている事の多くは、「偽りの真実」だと考える事ができるのではないでしょうか

 

この世で信じられている「肝心要な事」は、ほぼ嘘であった、、凝視 と言っても過言ではない状態なのです。

 

 

このような事を申し上げたら、「おかしいのかえっ!?と思われるのも当然でしょう。

 

 

今迄ずっと、「この世で教えられている事こそ真実である」と信じてきたものを、間違いであると信じる事は至難の業である事は理解できます。

 

 

しかしながら、よくよく考えてみますと、この世は悪しきものの支配下にあると、聖書にもあります。

 

 

その悪の支配下にあるこの世が、「真実である」と大声で唱えているものを、果して頭から信じても良いのでしょうか?

 

 

そう考えてみると、全てに納得がいくようです (゚’-‘ ゚)゚。

 

 

 

 

世間一般の人々が信じているものの代表的なものとして、「天国」「地獄」の二つがあるのです。

(それらを信じていないという方もいると思われますが、、汗うさぎ

 

つまりこれらに関しても、真実は他にあるという可能性が高いと言えるのではないでしょうか。

 

 

一般に知られている常識と異なる発言をすると、バッシングされてしまうことがあります、、

 

この世の嘘を暴くと「陰謀論者」とされ、

聖書の解釈違いを正そうとすると「異端者」扱いされ、

酷い時にはサタン呼ばわりされてしまいます ゜(´□`。)°゜

 

 

ただ、この世で信じられている事柄が正しいとは、一概には言えないと思うのです

 

 

 

 

他でもない、神のひとり子であるイエスキリストでさえ、人々から訴えられ、さげすまれ、「彼は悪霊により、悪霊を追い出しているのだ」等とんでもない誹謗中傷を受け続けたのです泣

 

 

日本では特に、出る杭は打たれるという事があるのかも知れません (´-﹏-`;)

 

「皆と同じものを信じ、同じことをすることが正しい」、という考えが根付いているからでしょうか、、

 

 

実は、自分は個人的に一般の人々(日本人に限らず)と考え方が異なる事が多いと、SNSが普及した昨今は特に再認識する時があります。

 

もちろん私の言っていることが全部正しいなどと申し上げるつもりは、毛頭ありません (。 >﹏<。)

 

 

ただ神の御前に正しくありたい、どうか正しい知恵が与えられますようにと心より強く願うばかりです

 

 

 

 

その昔の、小学校時代の事を思い出しましたので、お暇があればどうかご一読ください (´・_・人)

 

(同級生にとってはすでに時効?となり、幼い頃より引っ越しが多かった事もあり、この小学校で今も交友関係の続いている者はいないので、もし宜しければシェアさせて頂きます

 

 

今思い起こせば一クラス数十人いたそのクラスにて、違う行動をとる事が多かったようです汗うさぎ

 

下記のお話とは別件で、「天・真・爛・漫!」と先生から朝礼で言われた事もあり、その頃は意味もわからずはてなマークと思っていました

 

 

ある意味マイペースという事かも知れませんが、良く言えば人の考えに惑わされない子供だったようです ( ˙▿˙ ; )

 

 

 

 

ある時、その小学校のクラスで一人の女子が、ある男子からイジメを受け始めたのです。

 

その内、クラス全員がその子の事を無視したり、酷いイジメとまでは行かずとも仲間外れにし始めたのです。

 

私はその状況を目の当たりにし、何かおかしい、、と感じていました。

 

自分で言うのも何ですが、どう考えても人一倍おっとりとした子供だったにも関わらず、ある意味で洞察力?のようなものがあったのでしょうか、、(・-・;)

 

 

クラス全員みな優しい良い子たちで、成績優秀な子や面白い子、責任感の強い子、色々いたと記憶していますラブラブ

 

それにも関わらず、いじめをやめさせたり、その子をかばう者が一人もいなかったのです、、私以外は、、表情

 

 

ある日、その子が忘れ物をした際に、先生が「誰か貸してあげて」と言われ、ナント私とその最初にイジメを始めた子が名乗りを上げたのでした合格

 

幼いながらも、「本当は好きなので、いじめていたのかも、、驚き」と、、それに気づいたのも私だけだったような気がします、、

 

 

皆で遊びに行く時にも、「あの子も誘ってみない?」と問う私に、同意する者は誰もいませんでした (´-`;)

 

その子をかばう事により、私が同じくいじめられなかったのは、今となっては奇跡?のようです

その後も皆とは何の問題もなく、仲良くする事が出来ていたのです うさぎのぬいぐるみ

 

 

放課後に、その子と二人っきりで遊んだ事もありました。

そんな時、「〇〇さんだけ好き(//∇//)と言ってくれた事を、今でも懐かしく思い出します

 

 

あるとき、母親に相談した事もありました。

 

「その子は可愛いし、良い子なのに、どうして皆でいじめるのはてなマーク

「意地悪をしている子たちも、みな良い子達なのに、どうしてその子と仲良くしないのはてなマーク」などと母に尋ねました。

 

母からの答えは、「○○ちゃんは良い事をしているのよ」というような事を言ってくれた記憶があります(⑉• •⑉)

 

その時は正しい事をしているという認識はなく、ただ自分の思う通りに行動していただけなのです

 

 

誤解のないようにお伝えしますが、今でもこのクラスの子達が悪かったなどとは思っていません、、ただ単に皆がしている事が正しいに違いないと信じ、それに従ってしまっていただけなのだと思います

 

 

 

 

長くなりましたが、、何が言いたいかと申しますと、必ずしも大多数が正しいとは限らないという事、そして例え少数派であっても他に流されずに信念を貫くべき時もあるという事だと思うのです。

 

 

 

実は、私は悪意のない小さな嘘ほど、誰よりもすぐにひっかかります、、騙された後、「冗談音譜」といつも笑われます

 

神様のなさる奇跡は、疑うことなく素直に信じられますが、

それに反して、悪魔が放つ悪意ある重大な大嘘に関しては、人一番疑問がわき上がり敏感に反応するようです (*T_T*)

 

 

自分で単にそう思い込んでいるのではなく、

不思議な事に早ければ数日後、長い時には数年後に、「やはり、あれは正しかったのだ、、叫びという確信に至る事実にいつも遭遇するからです。

 

(ただし自分に直接関係する事は、全くもって分からず仕舞いですタラーむしろ逆であって欲しいといつも思います)

 

 

なによりも、何が神様のみ心で、何が悪魔を喜ばせてしまうのかを、きちんと見きわめる事が何よりも大切だと思わされます

 

 

 

 

話は戻りますが、、この地上での僅かな人生から比べると、最終的な行き先である「天の御国」あるいは「地獄」で過ごす永遠とはどれ程のものなのでしょううーん

 

 

未来に到来すると言われている「千年王国」「新天新地」の世界を考えても、とても複雑?で壮大なる神様のご計画において、

 

この世でイエスキリストを受け入れなければ有無を言わさずに「地獄」である 表情 というような、単純明快なものではないと考えています

 

 
イエス様が、「生きている間に」、「死ぬ前に」、或いは「この地上において」信じなければ、、
絶対に地獄行きであり、二度と福音を聞くチャンスも救いもないと断言された聖書箇所は、どこにも見つける事が出来ません
 
 

人知では計り知れない、深い憐みによるご計画があるに違いないと信じるばかりです、、祈る

 

 

 

 

この世に蔓延る、人々を惑わせる「偽り」の数々、、

 

それらを正し、「真実を発信しよう」「正義をもって立ち上がる者」は、何らかの形をもって迫害される事があると何度か申し上げましたが (´;ω;`)

 

それは聖書の内容に限らず、今現在この世において起こっている不可思議な事柄の数々に対しても、同じであると言えるのです。

 

 

昨今の、数限りない理不尽なニュースを思い起こせば、思い当たる節も多々あると思われます、、(:.;゚;Д;゚;.:)

 

そしてそれは何よりも、この世の支配層が望んでいる事に違いないのです。

 

これからの世の中は、ますます慎重にならなければならない時がやってまいります。

 

この世が、促す事を真に受けてはならない時代が到来するからです

 

 

 
 
話が飛び飛びとなってしまいましたが、
過去に同じような思いをされた事がある方達にも、下記のみ言葉をおくらせて頂きたいと思います (*´︶`*)

 

 
義のために迫害されてきた人たちは、
さいわいである、
天国は彼らのものである。
 
わたしのために
人々があなたがたをののしり、
 
また迫害し、あなたがたに対し偽って
様々の悪口を言う時には、
 
あなたがたは、さいわいである。
 
喜び、よろこべ、
天において
あなたがたの受ける報いは大きい。
 
 
マタイによる福音書5:10~12
 

 

 

 

 

また、「クリスチャン同士が対立し合い、分裂する」という悲しい事実や、「終末になると、真実を発信するクリスチャンが迫害される時代が来る」と聞いた事も思い出しました、、汗

 

 

それに屈して黙ってしまう事は、果たして正しいことなのかと考えさせられます ( ᵕ_ᵕ̩̩ )

 

 

あなたがもし、

このような時に黙っているならば、

 

ほかの所から、

助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。

 

しかし、あなたと

あなたの父の家とは滅びるでしょう。

 

あなたがこの国に迎えられたのは、

このような時のためでなかったと

だれが知りましょう」。

エステル記 4:14

 

また、そんな時下記のみ言葉にも勇気づけられますね ( ;ᵕ; )
 
 

涙をもって種まく者は、

喜びの声をもって刈り取る。

 

詩篇126:5

 

 

 

 

悪魔は、一人でも多くの者が救われずに、自らと共に地獄へ引き込まれる事を望んでいますドクロ

 

だからこそ、隠されている重大な真実を知られたくないと言われています。

 

「元来、嘘つきの父」であるからです

 

 

信じるチャンスが無く亡くなられた者は、まず「よみ」に下らなければなりません。

 

そこは決して天国のような場所ではなく、

「最後の審判」において「天の御国」か「地獄」かいずれかの行き先が決定されるまでの間、とてつもなく長い時間を過ごさなければならないと言います、、ゲッソリ

 


だからこそ、「今この地上で救いを受けるべきである」と、人々に真実を伝えていくべきだと思うのです (。>д人)

 

 

 
 
「よみ」の世界を知る事により、傷つき失望しショックを受けたり、また救いを受け入れるのを断念される者は少ないと思われます
 
また、「この地上で信じなくても救われるのなら、死んでから受け入れれば良いのだひらめき電球などと、万が一にも浅はかな考えを持つ者がいたならば、神は全てをご存じなのです
 
 
どんなに一生懸命人々に伝えたとしても、残念ながら人間としての伝道には限りがあります。
 
全力を尽くして福音を宣べ伝えながらも、最後はやはり主のみ手にお委ねするという事だと考えます。
 
 
福音を伝えたけれども救われずによみに降った人々には、
最後の最後にも、「主のみわざが注がれる」ということを信じたいです十字架
 
 
 
 
この「地獄」「よみ」の勘違いを産んだのは「西洋キリスト教」であり、
日本の「新解約聖書」にははっきりと下記の通り「あとがき」に記されたそうです。
 
 
 ハデス(よみ)「死者が終末のさばきを待つ間の、中間状態で置かれる所」
 
 ゲヘナ(地獄)「神の究極の裁きにより、罪人が入れられる苦しみの場所」を指す。
 
 
 
 

この教えは決して「恐ろしい」考えではありません。

 

生きている間に信じない限り決して救われることなく、「確実に地獄行き」であるという教えの方がよほど恐ろしいのでは ガーン

 

 

なによりも、福音を知った時点で

「自分だけ救われるわけにはいかない」、「先祖/家族たちが地獄へ落ちたと教える宗教は信じる事が出来ない」

等という考えを与えてしまう事は、大きな妨げとなってしまいますショボーン

 

 

より多くの人たちに救われるチャンスがあるというこの壮大な神のご計画が、一人でも多くの者達の知るところとなりますように十字架キラキラ
 
覆われた嘘が取り払われ、真実に目覚められる方が多くあらわれますようにと真底お祈りするばかりです。
 
 
どうか聖霊様のお導きにより、正しい知恵が私も含め皆それぞれに与えられますようにと願わずにはいられません (T^T)
 
 
 
 
いつも長文を最後までお読み頂きまして、心より感謝いたしますラブラブ

 

いつもご訪問いただきまして、ありがとうございます ٩(*´︶`*)۶

 

GWも明け、夏の兆しが見え始めた今日この頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか花

 

いつも興味深いビデオを配信されている久保有政牧師が、毎週のインターネット教会の礼拝メッセージをスタートされています

 

今週のメッセージは、死後の世界は「天国」と「地獄」の2か所ではなく、「陰府/よみ」も含めた3か所であるという重要な内容となっています合格

 

以前のブログでも何度かシェアさせて頂いた内容となりますが、多くの方達と同じく最も大きな疑問の一つがこの課題でした汗

 

そんな残酷な事があるはずはない、、ぐすん 神様の憐れみにより何等かのみわざがあるに違いないと漠然と信じていました

(また本人の心の内は神のみぞ知る事であり、意識不明等の際に主がその者に現れるというお話もよく聞きます十字架

 

多くの未信者の方達が、亡くなられた直後に永遠の地獄へ落ちてしまうなどと、どうして信じる事が出来るでしょう泣

一体誰が、そのような事を心から納得出来るのでしょうか汗

 

愛なる神様が、そんな無慈悲な事を絶対になさるはずがないと信じていました

 

そこで、この陰府(神道でいう黄泉)の教えラブラブを聞いた時、これこそが真実であると確信し、嬉しく思った事を覚えていますおねがい

 

もしよろしければ一部抜粋の上シェアさせて頂きます星

 

 

 

 

 ~日本のキリスト教会には、今も死後の世界に関する「大きな誤解」が蔓延している事を示しているのです。

 

多くの方は「陰府(黄泉)地獄も同じようなものだ。だからセカンドチャンスなどない」と思い込んでいます。

 

そう思い込まされている、と言った方が良いかも知れません。

 

しかし、これは決して聖書の教えではないのです。

 

私は、死後のセカンドチャンスの福音が日本に広まらない限り、日本にキリスト教が広まることはないだろうと思っています。

 

 

 

 

ある日本人の方が、こう告白した事があります。

 

「私は宣教師から、イエスキリストを信じれば天国に行けるという福音を聞かされた。

私は信じようと思ったが、その前に宣教師にこう尋ねた。

 

『すでに世を去った私の先祖や親族は、イエスを信じる事なく世を去りました。

彼らはどうなるのですか?』と。

 

宣教師は顔を曇らせながら、『地獄でしょう』と答えた。

それで私は、イエスを信じるのをやめた」

 

「イエスを信じる機会もなく信仰に至らなかったという理由だけで地獄に落とす神であるというならば、そのような神は信じるに値しない。

 

私の先祖や親族が地獄に行っていて救われる機会すらないというなら、私だけが天国に行くわけにはいかない」

 

そう告白されていました。

 

これは多くの日本人の心情でしょう。

その気持ちは私にもよく分かります。

それは当然の思いです。

 

 

 

 

しかしこの宣教師の答えは、実は全く聖書の教えから外れたものなのです。

 

イエスを信じることなく世を去った先祖や親族は、今は陰府に行っています。

 

地獄ではありません。

 

その陰府と地獄の混同から始まって、全てが間違った答えになってしまっているのです。

 

両者は全く違う場所です。

 

 

ところが西洋では、「陰府」と「地獄」は同じものだと誤解されてきたのです。 

 

例えば17世紀にイギリスで英語に訳された聖書では、「陰府」これはヘブル語ではシェオールといい、ギリシャ語ではハデスと言いますが、「陰府」を全て「地獄」と訳してしまいました。 

 

人間の死後の世界は、実際には「天国」「陰府」「地獄」の3つです。 

ところが陰府は抜け落ちてしまって、天国と地獄の2つだけになってしまったのです。

 

ですから今もイギリスの教会の多くの人は、陰府という世界があることすら知りません。

天国と地獄の2つしかないのだと思っています。

アメリカの多くの人もそうです。

 

 

 

 

 

私は英語でもセカンドチャンスの事を書いてインターネットに公開していますが、それを読んでくださった著名なペルシャ系のオランダ人の牧師は、次のようなEメールをくださった事があります。

 

「ハデス/よみに関する解説及び死後の救いに関するウェブサイトを読みました。

素晴らしいですね。

いつの日か、この理解が世界に広まることを願ってやみません。

先日、先生のセカンドチャンス論を元に、神学校の私の生徒たちに教えました。

彼等は、驚嘆していましたよ。

このような内容を個人主義的な西洋で教えると、しばしば異端視されるものですが、私にとってはそうではありません。

私はセカンドチャンス論を、全面的に支持します」

 

そう書いてきてくれました。 

 

同じようなメールは、メシアニックジュー運動の指導者の方やアメリカの牧師、宣教師、また日本の牧師の方からも頂いています。

 

セカンドチャンスの福音は、イエスの福音が日本に、又世界に広まるために突破口となるような大切な教えなのです。

 

 

 

 

もしあなたの口で

イエスを主と告白し

 

あなたの心で

神はイエスを死者の中から

蘇らせてくださったと信じるなら

あなたは救われる。

 

 

キリストは死んだ人にとっても

生きている人にとっても、

 

その主となるために

死んでまた生きられたのです。

 

ローマ人への手紙10:9、14:9 

 

 

つまり陰府の死者のためにも、その主となるためにイエスは十字架の死を遂げて、また復活されたのだというのです。

 

 

聖霊によるのでなければ、誰もイエスは主ですということはできませんとも言われています。

 

陰府において、「イエスは主です」と信仰を持って告白する人は、それは神の聖霊によるので、その人は救われるのです。

 

 

 
 
キリストも1度罪のために死なれました。
 
その霊において
キリストは捕らわれの霊たちのところに行って
御言葉を述べられたのです。
 
ペテロの第1の手紙
 
イエスは、昨日も今日もいつまでも変わらない恵みと愛のお方ですから、かつて(ノアの時代)陰府で福音宣教をなさったのであれば大洪水以後の陰府の死者に対しても、必ずや福音宣教がなされるのです。
 
 

地上の人生の記憶は、陰府にまでも続くのです。

 
ですから地上でイエスの福音を聞いたけれども信じないで陰府に行ったという人々は、陰府でイエスの福音を思い起こすでしょう。
 

 

 

 

 

わたし(神)が災いを予告した民が

 

悔い改めるなら、
 
わたしは下そうと思っていた
わざわいを思い直す。
 
エレミヤ書
 
思い直す、と書かれているのです。 

 

陰府に行った人々は、もしそのままならば滅びゆくものです。
しかし陰府であっても、真実な悔い改めと神への信仰を示すならば、神はその人への災いを思い直してくださいます。
 
神様は死者にも御恵みを惜しまないで、思い直すこともある方なのです。
 
 
 
 
主に立ち帰れ。
 
主は情け深く、あわれみ深く、
怒るのにおそく、恵み豊かで、
 
わざわいを思い直してくださるからだ。 
 
ヨエル2:13 
 
 
神様はたとえ滅びを宣告しても、人々の取りなしや本人の砕かれた態度によっては裁きを思い直してくださいます。
 
その神様のご性質は、陰府でこそ発揮されるのです。
 
 
 
 
死人が神の子(キリスト)の声を
聞く時が来ます。
 
今がその時です。
 
そして聞くものは生きるのです。
 
 
墓の中にいる者がみな、
この声を聞いて出てくる時が来ます。
 
ヨハネ5:25、28
 
 
これはキリストご自身が言われた御言葉です
 
前後関係を読んでみますと、墓の中にいる者が皆この声を聞いてと言われていますから、これは肉体的に死んだ人々つまり陰府にいる人々をも意味しています。
 
 
 
 
あなたの先祖やご親族のうちキリストを信じないで世を去った人々、またキリストの福音を1度も聞く機会がないまま世を去った人は今、陰府にいるのです。
 
そこは、死後の最終状態ではありません。
 
世の終りの最後の審判、神の裁判の法廷の時までの中間状態です。
 
彼らは生存中になしたそれぞれの行いに応じて、陰府の中のふさわしい場所に留められて、そこで神様からの魂のお取り扱いを受けています。
 
 
 
 
しかし死者にも、惜しむことのない神様の恵みが注がれます。
 
死人が神の子キリストの声を聞く時が来ます、そして聞くものは生きるのです。
 
陰府においてさえも彼らがキリストの声を聞いて、それに聞き従うならば生きるのです。
 
キリストが生きるという時に、それは神様の前に生きること、永遠の命に生きることを意味します。
 
彼らは救われるのです。
 
 
 
 
私ヨハネは死んだ人々が、
大きいものも小さいものも
御座の前に立っているのを見た。
 
そして数々の書物が開かれた。
 
また別の1つの書物も開かれたが、
それは命の書であった。
 
死もハデス(陰府)も
その中にいる死者を出した。
 
そして人々はおのおの
自分の行いに応じてさばかれた。
 
それから死とハデスとは
火の池(地獄/ゲヘナ)に投げ込まれた。
 

これが第2の死である。

 

命の書に名のしるされていないものはみな、

この火の池に投げ込まれた。

 

黙示録20:11~15

 

 

これはキリストの再臨後、キリストの「千年王国」の後に、神の御前で開かれる「最後の審判」の光景を描いた予言的な幻です。

 

すなわち、いわゆる「死後の裁き」の法廷です。

 

 

 

 

注目すべきはこの陰府の死者のための裁きの法廷に「命の書」が提出されているということです。

 

「命の書」とは何でしょうか。

それは回心者名簿です。

 

 

それに名が記されていれば「新天新地」に入れられます。

名が記されていなければ、「地獄/火の池」の滅びが決定されます。

 

未信者として死んで陰府に下った魂の最終的な行き先を決めるこの最後の審判の法廷に、つまりその第2ステージに命の書という回心者名簿が提出されているのは一体なぜでしょうか

 

 

それはとりもなおさず、陰府の死者に回心者がいるからです

 

 

もし1人もいないのならば、回心者名簿を提出する必要さえありません。

 

最後の審判の法廷など開かずに、地獄に直行させれば良いことです。

 

いや、陰府自体が不要となるでしょう。

 

 

地獄が決定されているのであれば、未信者は死後陰府に行かずに、地獄に直行させれば良いことです。

 

 

 

 

もし変な解釈を付け加えずに、素直に聖書の御言葉を読むならば、聖書はセカンドチャンスの福音をこのように語っているのです

 

私たちは、この失われた福音を回復すべきです。

 

例えセカンドチャンスがあってもなくても、私たちが今生きている間に信仰を持つべきことに変わりはありません。

 

なぜならば私たちがこの地上で生きている時に信じれば、豊かな祝福された人生を歩むことができます。

 

そして死後は陰府黄泉へ行かず、天国の至福と安息の中に入ることができます。

 

 

 

 

 

しかしこの地上で信じないならば、陰府という暗い世界においてそれぞれの場所に留め置かれます。

 

そこでは「慰め」を受けることもあるでしょうが、「懲らしめ」を受けることもあります。

 

その陰府に長い間留め置かれて、自分の人生に対する反省の時と、または魂への神様からのお取り扱いの時を経験します。

 

 

(※「千年王国」の後に「最後の審判」があるとするならば、最低でも1,000年間は陰府で過ごさなければならないと考えられます驚き この地上で救いを得るならば、天の御国へ「直行」となるのですハート

 

 

 

 

あなたはこの地上で福音を聞いたなら、この地上で今信じるのが最善なのです。

 

そしてこの地上で生きている間に信じるならば、あなたの信仰への祝福は単にあなただけにはらないのです。

 

広くあなたの先祖や親族家族にも及びます。

聖書の中に、こう書かれています。

 

 

わたし(神)を愛し、

わたしの命令を守る者には

 

恵みを千代にまで施す。

 

出エジプト記20:6

 

 

 

 

 

これは決して、私たちが信じれば先祖も皆自動的に救われるということではありません。

 

しかし先祖に注がれる神様の深い御恵みは、彼らが陰府で信仰を持つことを大いに助けることでしょう。

 

ですからあなたが信仰に入ることは、単にあなただけのことではないのです。

 

あなたの先祖や親族の救いをも大いに助けます。

 

 

 

あなたへの神様の祝福は、単にあなただけではなくて、あなたの周囲の人々やあなたに連なる全ての人々に及んでいくのです。

 

 

 

 

お時間がある際に、過去の記事も合わせてぜひご覧になってみて下さいね (⁎˃ᴗ˂⁎)

 

 

 

 

 

イザヤ書 53章

 
しかし、
それを信じる人は
なんと少ないことでしょう。
 
だれが、
耳をすまして聞くでしょう。
 
神はだれに、
救いの力を示すのでしょう。
 
 
 
 
主の目には、
彼は不毛の地に芽を吹いた
柔らかな新芽のようで、
 
私たちの目には、
心引かれるものは何一つなく、
慕うようなものもありません。
 
 
 
 
私たちは彼をさげすみ、
受け入れませんでした。
 
彼は悲しみの人で、
苦しみをなめ尽くした人でした。
 
 
 
 
私たちは彼に背を向け、
そばを通っても顔をそらしました。
 
彼が侮られても、
そ知らぬふりをしていました。
 
 
 
 
しかし、
彼は私たちの悲しみを負い、
 
私たちの嘆きをにないました。
 
 
 
 
私たちは、
彼がそんなに苦しむのは、
 
罪を犯して
神に罰せられているからだと思いました。
 
 
 
 
しかし、
私たちの罪のために傷つき、
血を流したのです。
 
彼は私たちに平安を与えようとして、
進んで懲らしめを受けました。
 
 
 
 
彼がむち打たれたので、
私たちはいやされました。
 
 
私たちは神の道を離れ、
羊のようにさまよい出て、
自分勝手な道を歩いてきました。
 
 
 
 
しかし神は、
私たち一人一人の罪を
彼に負わせたのです。
 
 
彼は痛めつけられ、
苦しみ悩みました。
 
それでも、
ひと言も語りませんでした。
 
 
 
 
子羊のようにおとなしく
ほふり場へ引いて行かれ、
 
毛を刈り取られる羊のように、
非難を浴びせる者たちの前に
黙って立ちました。
 
 
人々は彼を裁判にかけ、
刑場へ引き立てました。
 
 
 
 
はたして、
彼が死ぬのは
自分たちの罪のためであり、
 
身代わりに
罰を受けて苦しんでいることを
 
知っていた者が、
その時代にいたでしょうか。
 
 
 
 
彼は罪人扱いを受け、
富む者の墓に葬られました。
 
悪いことをしたわけでもなく、
悪いことばを
口にしたわけでもありません。
 
 
彼を傷つけ、
悲しみで満たすのは、
主の計画だったのです。
 
 
 
 
罪の赦しのためのささげ物として、
 
そのたましいをささげるとき、
彼は多くの子孫を見ることができます。
 
彼は復活し、
 
神の計画は彼の手によって
成し遂げられます。
 
 
 
 
彼は、
自分のたましいが苦しみもだえた末、
 
神のみわざが実現するのを見て、
満足します。
 
 
「わたしの正しいしもべは、
このような苦しみを経験して、
 
多くの人を神の前に義とする。
 
 
 
 
彼が人々の罪をすべてになうからだ。
 
それゆえ、
わたしは 彼に、
偉大な勝利者としての栄誉を与える。
 
彼は進んでいのちをささげたのだ。
 
彼は罪人の一人に数えられ、
多くの人の罪を負い、
 
罪人のために神にとりなしをした。」

 

 

 

 

 

 

 

いつもご訪問をいただきまして、ありがとうございます

 (*´▽`*)❀

 

今週末はイースター(イエスキリストの復活祭)十字架キラキラですね

 

 

上記のイザヤ書53章は、イエス様が十字架に架かる700年も前にびっくり

旧約聖書でイザヤにより預言されたものですくろす

 

旧約聖書には、イエスキリストに関しての預言が300箇所以上十字架あります

 

 

このSuperbookアニメはおねがいTVでも放映されていたようですが

 

聖書の時代に、現代の子供達がタイムスリップするという面白い設定となっていますウインク

 

もし宜しければ、このイースターにぜひ一度ご覧になってみて下さいね音譜

 

どうぞ素敵なイースターをお過ごしください (*´︶`*)♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、聖霊があなたがたに下る時、

あなたがたは大きな力を受け、

 

エルサレムからユダヤ全土、

そしてサマリヤから地の果てまで、

 

わたしの死と復活を伝える証人となります。 

 

 

 

 

こうお答えになると、

イエスは、

 

見守る使徒たちの目の前で天に上げられ、

たちまち雲の中に姿を消されました。

 

使徒行伝1:8-9

 

 

 

 

 

 

 

恐れてはならない、

 

わたしはあなたと共にいる。

 

 

 

 

 

 

驚いてはならない、

 

わたしはあなたの神である。


 

 

 

 

わたしはあなたを強くし、

あなたを助け、

 

わが勝利の右の手をもって、

あなたをささえる。 

 

イザヤ書41:10

 

 

 

 

 

王座におられる方が宣言されました。

 

「ごらんなさい。

わたしはすべてを新しくします。」

 

ヨハネの黙示録21:5

 

 

 

 

 

 

私は、

王座から大声で叫ぶ声を聞きました。

 

「ごらんなさい。

神の住まいが人々の間にあります。

 

神は人々と共に住み、

人々は神の国民となります。

 

 

 

 


 

神ご自身が人々の中に住み、

その目から涙をぬぐってくださるのです。

 

もはや、

死も悲しみも叫びも苦痛もありません。

 

それらはみな、

永遠に姿を消したからです。」 

 

ヨハネの黙示録21:3-4

 

 

 

 

 

天使は、

私にこう告げました。

 

「『わたしはすぐに来る』という約束は真実で、

信じるべきことばです。

 

 

 

このことを信じ、

 

この書物に記されているすべてを

信じる人は幸いです。」 

 

ヨハネの黙示録22:6-7