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皆さまの中にも「可愛がっていたペットとは天国で又会えるのでしょうか?」、という疑問を耳にされた方も多いと思います
これは、ペットを飼われた経験がある方は特に、一度は考えた事があるテーマ
なのかも知れません
下記の聖句では、新しい御国において、
「イエスキリストの御名によって、父に願い求めるものは全て聞き入れられる」
とあります
天の御国においては、心に思い描いた事(神の御心に沿った)を強く願い求めた際には
、、
慈しみ深い神によって必ず叶えられると信じるならば、これほどすばらしい事はありません
しかし、わたしは
再びあなたがたと会うであろう。
そして、あなたがたの心は
喜びに満たされるであろう。
その喜びをあなたがたから
取り去る者はいない。
その日には、あなたがたが
わたしに問うことは、何もないであろう。
よくよくあなたがたに言っておく。
あなたがたが
父に求めるものはなんでも、
わたしの名によって下さるであろう。
ヨハネによる福音書16:22-23
もし宜しければ、前回に引き続き一つのご参考として、聖書の指針さんの動画から一部抜粋させて頂きます (ノ*>∀<)ノ♡

ペットロスの悲しみと聖書から考える姿勢
ペットは天国に行くのでしょうか?
亡くなった犬、猫、大切にしていた動物たちともう1度会えるのでしょうか?
長い時間を一緒に過ごし、家族のように愛し、最後の日まで見守った人にとっては胸の奥に刺さる問いです。
名前を呼べば来てくれた存在がもう来ない。
いつもの場所に姿がない。
食器も、首輪も、写真も見る度に涙が出る。
この悲しみは本当に深いものです。
聖書は、動物について何も語っていないわけではありません。
一方で、全てを細かく説明しているわけでもありません。
動物は良い被造物
しかし人間とは同じではない
まず聖書は動物を、「神が創られた良いもの」として語っています。
神は
地の獣を種類にしたがい、
家畜を種類にしたがい、
また地に這うすべての物を
種類にしたがって造られた。
神は見て、良しとされた。
創世紀1章25節
つまり動物は、偶然に存在しているものではありません。
※何百万年もかけて「偶然に進化した」ものではないのです
犬も、猫も、鳥も、馬も、あらゆる生き物は神の御手の中で創られました。
また聖書は、神が被造物を気にかけておられることも語ります。
イエス様は、空の鳥を見なさいと語られました。
空の鳥を見るがよい。
まくことも、刈ることもせず、
倉に取りいれることもしない。
それだのに、あなたがたの天の父は
彼らを養っていて下さる。
マタイの福音書6:26
このように、神は動物を軽んじておられません。
一方で聖書は、人間と動物を同じ存在としては扱っていません。
神はまた言われた、
「われわれのかたちに、
われわれにかたどって人を造り、
これに海の魚と、空の鳥と、
家畜と、地のすべての獣と、
地のすべての這うものとを
治めさせよう」。
神は自分のかたちに
人を創造された。
すなわち、神のかたちに創造し、
男と女とに創造された。
創世紀1章26節~27節
「神の形」とは、神を知り神と交わり神の前に責任を持って生きる存在として創られたということです。
人間は、神を礼拝するために作られました。
善悪を考え、愛し、選び、悔い改め、信じる存在として創られています。
ここに動物との根本的な違いがあります。
もちろん動物にも感情があり、1匹1匹に個性があります。
ペットと暮らしたことがある人なら、それはよくわかるはずです。
喜ぶ姿、怖がる姿、甘える姿、飼主を待つ姿。
その姿に心を動かされるのは自然なことです。
ただし聖書は動物について人間と同じように罪を悔い改め、救い主を信じ、新しく生まれる存在だとは語っていません。
ですからペットについて考える時には、2つのことを同時に大切にする必要があります。
動物は神が作られた良い被造物であり、神に覚えられている存在です。
しかし聖書は動物の死後について、「人間の救いと同じ形」では説明していません。
だからこそ私たちは聖書がはっきり語っていることと、神に委ねるべきことを分けて考える必要があるのです。
聖書は未来の地上の王国に動物がいると語っている
では未来の世界に、動物はいるのでしょうか?
聖書がはっきり語っているのは、キリストが再び来られた後、「地上に実現する王国には動物がいる」ということです。
その日には、
狼と子羊がいっしょに休み、
ひょうと子やぎは大の仲良しになります。
子牛や丸々と太った家畜が
ライオンの間にいても心配はなく、
小さい子どもが
その群れを追って行きます。
牛は熊の間に入り込んで草を食べ、
その子らはじゃれ合い、
ライオンは牛のように草を食べます。
幼子が毒蛇の間をはい回ってもかまれず、
子どもは平気でまむしの巣に手を入れます。
主の聖なる山のどこででも、
傷つけたり危害を加えたりするものは
一つもありません。
水が海を満たすように、
主を知る知識が地にあふれるからです。
イザヤ11章6節~9節
これは、ただの素敵なイメージではありません。
神がやがてこの地上に、本当の平和と回復をもたらされることを示しています。
キリストが王として治められる時代に、自然界の秩序が大きく回復されるということです。
この王国は、「千年王国」と呼ばれます。
千年王国とはキリストの再臨後、この地上に実現する王国のことです。
黙示録20章には「千年」という期間が語られています。
※「主にとって千年は一日のようである」と一つの聖句にありますが、千年王国に関しては「100歳で死ぬ者は若者とされ、百歳に満たない者は呪われた者とされる」とあるように、ここでいう千年は、文字通りの1,000年であると言われています
ここで大切なのは、聖書が未来をふわっとした霊的な世界だけとして描いていないことです。
地上に王国があり、支配があり、平和があり、動物がいます。
神が創られる未来の地上の王国には、動物が存在します。
そこでは、今の世界にある恐れや争いが取り除かれ、平和が回復されます。
新天地に動物はいるのか?
ではその後に来る「新天新地」には、動物がいるのでしょうか?
ここで聖書が語っていることと、語っていないことを分けて考える必要があります。
黙示録21章には「新しい天と新しい地」が出てきます。
そこでは、もはや死もなく悲しみも叫びも苦しみもありません。
罪によって壊された世界が完全に過ぎ去り、神が人と共に住まわれる永遠の世界です。
ただし黙示録21章と22章は、新天新地に動物がいるかどうかを明確には語っていません。
ですから新天新地には、必ず動物がいると断言することはできません。
一方で新天地には、絶対に動物はいないとも言えません。
なぜなら神は創造の初めに動物を作り、それを良しとされたからです。
ですから新天新地の動物については、断定ではなく信頼を持って受け止めるのが聖書的です。
神が創られる永遠の世界には、欠けがありません。
神の判断には、誤りがありません。
神の民はその時主のなさった全てに、完全に満足します。
結論:亡くなったペットと天国で再会できるのか
聖書は、あなたが飼っていた特定のペットが天国で必ず待っているとは語っていません。
しかし同時に、天国で会えるはずがないと決めつける必要もありません。
聖書は、亡くなったペットとは絶対に会えないとも語っていないからです。
主は岩であって、
そのみわざは全く、
その道はみな正しい。
主は真実なる神であって、
偽りなく、
義であって、正である。
申命記32章4節
神の判断は完全です。
人間には分からないことがあっても、神には全てが分かっています。
私たちが愛した小さな命についても、神は知らないままではありません。
いま私が知っていることは、
おぼろげで、ぼんやりしています。
しかしその時には、
いま神様が私の心を
見通しておられるのと同じように、
すべてが
はっきりわかるでしょう。
第1コリント13章12節
今の私たちには、永遠の世界の全ては見えていません。
けれども主の御前に立つ時、今は分からないことも 明らかになります。
そして神の判断を知る時、神の民は完全に満足します。
神は創造主です。
そして神は、ご自分が創られたものを軽んじる方ではありません。
ですから私たちが家族のように愛した小さな命を、主が意味のないものとして扱われるとは思えません。
もし主が私たちの愛したペットと御国で再会させてくださるなら、それは本当に大きな慰めです。
そしてたとえ私たちの想像とは違う形であったとしても、主は必ず私たちの涙を拭い完全な慰めと平安を与えてくださいます。
主は私たちの想像をはるかに超えた、完全に愛と正しさに満ちたお方です。
だからこそ、ペットのことも私たち自身の永遠の希望も、主イエスキリストに委ねるのです。
ここ最近は地震や台風などが頻発しているようですので、どうかくれぐれもお気を付けくださいね 。゚゚(´□`。)°゚。