1
社会の進歩の度合いは、最も貧しい人たちを
どう扱っているかではかることが出来るということ。
(神との対話②の本の290ページから学んだこと)
2
現実を変えるには、
今までのような考え方をやめればいいということ。
(神との対話①の本の308ページから学んだこと)
3
最高の考えには、必ず喜びがあり、
くもりのない言葉には真実が含まれているということ。
最も偉大な感情は愛だということ。
喜び、真実、愛。
この三つは入れ替えることもできるし、
互いにつながり あっていて
順序は問題ではないということ。
(神との対話①の本の22ページから学んだこと)
4
すべての人にゆきわたるだけの
十分なものが、地球の上にはあるのだということ。
課題とは、万人を平等にすることではなくて、
すべての人に最低限の人間らしい暮らしを保証し、
その上で、それ以上の何を望むかをそれぞれが
選ぶというチャンスを与えることだということ。
(神との対話②の本の291ページから学んだこと)
5
他人の苦難を自らの苦難と考えない限り、いつまでもこのままだろうということ。
そして、このように考えないのは、ニュースなどで毎日悲惨なありさまを見ながらも、人々が、気にかけない、心を向けないからだということ。だから全地球が良心の危機に瀕しているということ。
だから人々は、お互いのことを気にかけようと決意する必要があるということ。
(神との対話②の本の243・244ページから学んだこと)
6
人に与えるのは自分に与えることで、7倍になって戻ってくる。だから、何を取り戻せるかと心配しないで、何を与えるかだけを考えていればいいということ。
生きるとは、最上のものを得ることではなくて、最上のものを与えるということで、人生・生命とは、得るためにあるのではなくて、与えるためにあり、そのためには、人をゆるす必要があり、とくに、期待したものをくれなかった相手をゆるさなければならないということ。
現在の文化で言う「成功」は、どのくらい自分が名誉や金や力や所有物を「得て」、蓄積したかで測られているが、新しい高度な文化になると、「成功」というものは、どのくらい人に「蓄積」させたかで測られ、ひとに蓄積させればさせるほど、自分自身も苦労なく蓄積することになるということ。
未来の高度に進化した社会の経済では、個人的な利益目当てではなくて、個人的な成長を目的に物事を行うようになり、それが自分の利益となり、自分が大きく立派になれば、物質的な利益はあとから自然についてくるようになるということ。
(神との対話③の本の344、345ページから学んだこと)
7
高度に発達した社会になると、すべての出産が祝われ、すべての母子が幸せになるように社会から気を配られるようになるということ。
(神との対話②の本の210ページから学んだこと)
8
受けることよりも、与えることのほうが大切だと教えられてきた人々がいるが、自分がもっていないものを、与えることはできないので、自分の喜びが大切だということ。
自分の喜びとは、もちろん、他者を犠牲にする喜びのことではなく、他者の欲求を無視することではなく、自分自身の欲求を無視するのもいけないことで、自分にたっぷりと喜びを与えると、他者にもふんだんに喜びを与えることになるということ。
(神との対話②の本の150ページから学んだこと)
9
この地球では、ひとつの国家が不当に大きな権力を握り続けるべきではなくて、地球上に存在するすべての国家の集団に大きな力をゆだねる、という方法だけが、世界に究極の平和をもたらすということ。
この場合にだけ、どんな暴君も、どんな強大な国家も、他国の領土を侵略したり、他国の自由をおびやかすことはできず、その意思ももたなくなるということ。
そして、新しいシステムになると、小国の安全を保証するのは、ご機嫌を取り結ぶ相手ではなくて、手を結んで後ろだてになってくれる相手だということ。
そうなれば、世界の資源をもっと平等に分け合い、誰の手にも入るようになり、全世界の人々の役に立つように使われるようになるということ。
(神との対話②の本の336、337ページから学んだこと)
10
他の人の苦しみの経験を自分のものとして学ぶ能力がないことが、いつまでも苦しみが続く原因だということ。
(神との対話②の本の112ページから学んだこと)
11
子供たちに、動きや音楽、おとぎ話の神秘、生命の驚異、芸術の喜びを教え、すでに破綻しているのになおも継続されているルールや社会のシステム、結論を記憶させるのではなくて、論理と批判的な考え方、問題解決、創造、自分の直感と最も深い内面的な知識というツール(道具)の使用方法を学ばせ、
そして、ものではなくて、「認識・誠実・責任」という、三つの基本概念を中心にした、新しいカリキュラム(意味は、教育内容を学習段階に応じて配列したもの。教育課程。)を考え、カリキュラムの最後まで、この三つの筋を通し、教育のモデルをこの三つにおき、すべての指導をこの三つから始め、子供たちに幼い頃から、この概念を教えるということ。
初級から上級までの子供たちが読むすべてのお話、物語、教科の内容を、この中核的な三つの概念を軸にして、そして、子供たちに教えることは全て、この三つの概念をもとにするということ。
そして、1人1人、自分自身のペースで進ませてあげるということ。
(神との対話②の本の216、217ページから学んだこと)
12
不安や恐れは愛の対極だということ。
(神との対話①の本の102ページから学んだこと)
13
心配というのは、最悪の精神活動のひとつで、何の役にも立たず、精神的エネルギーの浪費で、それどころか、身体を傷つける生物化学的反応のもとで、消化不良から冠動脈血栓にいたるまで、様々な障害を引き起こすということ。
また、心配するのをやめれば、すぐにでも、今の健康状態より良くなるということ。
そして、心配は、非常に自己破壊的で一番破壊的な精神状態である憎悪の次に悪く、憎悪は身体を毒すということ。
不安は増幅された心配で、人のあらゆるものと対立し、精神的、肉体的健康に悪影響を及ぼすということ。
(神との対話①の本の321、322ページから学んだこと)
14
思考が行動になれば地球を救うことが出来るということ。
あらゆるところで大勢の人たちが、環境を救うために何かをしなくてはいけないと信じるようになれば、地球を救うことが出来るということ。
しかし、急がなければならず、長い間に、すでに大きな被害が起こっているから、世界を救うためには、非常に大きな姿勢の転換が必要だということ。
(神との対話①の本の182ページから学んだこと)
15
銀河系や宇宙の中で、高度に発展した社会では、子供たちがごく幼い頃から、生きるための概念を教えられているということ。
今の人類の教育システムは答えを出すことを主にしているが、問いかけることを主眼にしたほうが、ずっと役に立つということ。誠実とはどういうことか?責任感とは?公正とは?物事の意味とは?1+1が2だというのはどういうことか?どんな意味をもっているのか?高度に発達した社会になると、すべての子供たちに対して、自分で答えを見つけなさい、自分でつくりなさいと励ますようになるということ。
(神との対話②の本の225ページから学んだこと)
16
完璧な愛は完璧な白色のようなもので、白色は色がないのではなくて、存在するあらゆる色が合体したものだということ。
だから愛とは、憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望などの感情がないのではなくて、あらゆる感情の総和であり、あらゆるものの集合、すべてであるということ。
そして魂が、完璧な愛を経験するためには、人間のあらゆる感情を経験しなければならないということ。
(神との対話①の本の143ページから学んだこと)
17
かつて地球上で、現在よりももっと高度に進歩した文明があったが、自滅し、そればかりか、ほかの全てを滅ぼしかけたのは、開発した技術をどう扱うべきかを知らず、
霊的な進歩よりも技術的な進歩のほうがはるかに先行し、技術を神と崇めてしまい、人々は技術を崇拝し、技術が創造し、もたらすもの全てを崇拝して、そこで、野放しになった技術がもたらすすべてに襲われるという野放しの災厄がおこり、彼らは自分で世界の終わりを引き寄せたということ。
進んだ考えがなければ、進んだ技術を役立たせることはできず、考えなしに技術だけが進むと、進歩を実現するどころか、終焉につながるということを過去に一度地球上で経験しているということ。
そして、またそこに、非常に近づいる時があるから気をつけたり色々したほうがいいということ。
(神との対話③の本の413、414ページから学んだこと)
18
人々が本当に飢餓を終わらせたいと思った日に、飢餓はなくなるし、そうするための力や選択するための道具を人々には与えてあるし、すべてもっているが、そうしなかったのは、出来ないからしないのではなくて、世界は明日にでも
飢餓を終わらせることが出来るのに、人々がその選択をしなかったからだということ。
(神との対話①の本の89ページから学んだこと)
19
「普通」というのは、通常はそうだということで、「自然」というのは、「普通」であろうとするのをやめた時の状態だということ。
自然と普通は違い、それぞれの瞬間に、人は普通に行動することもでき、自然に行動することも出来るという事。
そして、愛よりも自然なことは何もなく、愛で行動すれば、自然に行動することになるということ。
また、不安や恨みや怒りで反応するのは、普通の行動かもしれないが、それは自然な行動ではないということ。
(神との対話②の本の54ページから学んだこと)
20
世界はそろそろ色々なバカな振る舞いをやめ、目覚めて、人類の唯一の問題は愛の欠落だということに気づいたほうがいいということ。
愛は寛容を生み、寛容は平和を生み、不寛容は戦争を生み出し、耐えがたい状況に無関心になるが、愛は無関心ではいられないし、どうして、無関心でいられるのか分からないということ。
そして、人類全てに対する愛と関心への一番の近道は、全人類を自分の家族と考え、全人類を家族と考える一番の近道は、分裂をやめることであり、世界の国民国家は団結して協力すべきだということ。
そして、それぞれの国民国家が、世界のすべての問題について平等な発言権をもつようにして、世界の資源を平等に分かち合う新しい政治的なコミュニティをつくればいいいということ。
(神との対話②の本の248、249ページから学んだこと)
21
親は、尊敬する年長者に子育てをゆだね、子供に会いたければ会えばいいし、一緒に暮らしたかったらそうすればいいが、子育ての責任を自分だけで負うことはなく、肉体的、精神的、社会的に子供が必要とすることは、コミュニティ全体が満たしてあげればいいということ。
(神との対話③の本の71ページから学んだこと)