私たちには『両親』がおり、
その両親には更に両親がおり。
私の上に二人の両親、
その上に夫々二人づつの4人の親(ご先祖)、
一代遡れば2人、
2代溯れば4人のご先祖。
同じようにして3代溯れば8人、
4代では16人、
5代では32人、
6代では64人。
10代では1024人、
15代では32768人、
20代ではなんと
1,048,576人ものご先祖が
居られたことになります。
ここで少し考えてみてください。
例えば父か母のどちらかが
仮に違う人と結婚されていたならば、
今の自分は絶対に生まれていません。
つまり私とは違う人格の方が
私にとって代わって生まれています。
何故なら血液型や染色体、DNA等、
全て私のそれとはまったく違う人格の方が
この世に生を受けられているはずです。
たった1代溯るだけで、
たった2人のどちらかが
誰かと入れ替わられておられただけで、
今の私はこの世に生を受けてません。
では5代溯ると32人…!
この32人の内のたった1人でも、
誰かと入れ替わられて生まれて来られていれば、なおさら『私は生まれられなかった』ことになります。
20代溯れば1,048,576人のご先祖、
この中の一組でも、1人でも違った方と入れ替わられていれば、絶対に『私』はこの世に生まれられなかったのです。
ご先祖様の構図を『ご先祖様の逆ピラミッド』と言います。
私たちの命とは、このように
極めて生まれ難いことなのであります。
鎌倉時代に法然上人はこのことを=うけがたき人身をうけあいがたき仏法にあえり、とその心境を語られています。
この事実を深く思い凝らせば、私の命とは実に得難いことであることが解ります。
それと同時に、私の命を今に授けて頂いた『無数のご先祖さま』のありがたさを感じずにはおられません。
このようなことを考えれば、ご先祖の恩は、無限に大切にしなれければならないと感じ取れます。
ご先祖様はこのように『私に今の命を与えてくださった大恩』を感じていたからこそ、昔から人は『お墓参り』などをして、お年忌法要をし、ご先祖様を尊び、大切にお供養を続けてこられました。
このように『大恩あるご先祖』に感謝をささげる行為こそ、お墓や納骨壇へのお参りであり、年忌や命日のお参りです。
ご先祖をないがしろにすれば、
感謝の気持ちを表すことにはなりません。
ご先祖様に感謝の気持ちを表し、大切にお守りをさせて頂けば、ご先祖は私たちをまた『お守り』下さいます。
このことを『因果応報の理』と言います。
この世の道理
良い種をまけば、
きっと良い実がなるでしょう。
かたや粗悪な悪い種をまけば、
粗悪な悪い実がつく。
『この世の道理』です。