このブログは私たち日本人の心の拠り所である神社の謎と不思議に迫ってまいります。

星田妙見宮の歴史と周辺の神社との関わり、陰陽道や古神道についてシリーズでその魅力を調査します。

 

その5では三社の実際の位置関係と古道まで重ねて調べました。

 

その6では北極星を使った古代の方位測定」と三社のレイライン軸を重ねて検証していきます。

グチャグチャと天体好きの私の講釈がはいるのでめんどくさいと思ったら「ここまでの判定」まで飛ばしてください。

 

検証すると、かなり興味深い結果になりました。三社が「北極星を基準に一直線に配置された」と断定することはできません。

ところが、星田妙見宮―石清水八幡宮の方位には、9世紀の北極星の動きと驚くほど近い数値が出ます。 

ただし、これを歴史的意図の証拠とするには材料が足りません。

 

 

1.まず三社を実測すると

國學院大學の座標では石清水八幡宮は北緯34°52′46.7″・東経135°42′00.31″、龍田大社は北緯34°35′35.17″・東経135°41′15.78″です。星田妙見宮については地図座標を北緯34.75945°・東経135.67859°として計算しました。

私が球面上の初期方位を計算すると、こうなります。

区間

方位

真南・真北との差

石清水 → 龍田

182.04°

真南から西へ約 2.04°

石清水 → 星田

188.36°

真南から西へ約 8.36°

星田 → 龍田

177.41°

真南から東へ約 2.59°

星田 → 石清水

8.35°

真北から東へ約 8.35°

 

石清水―龍田という約32kmの大きな軸だけを見ると、確かにほぼ真南北です。

しかし、星田妙見宮はその直線上ではなく、計算すると石清水―龍田線から西へ約1.49km外れます。

つまり、「三社が一本の南北線上にある」→という仮説は❌です。成り立ちません・・・

 

2.では9世紀の北極星はどこにあったのか?天文学的に考察してみました。

ここが重要でして、現在の北極星(ポラリス)は天の北極のすぐ近くにありますが、地球の歳差運動のため、昔は

もっと離れていました。

NASAも、地球の自転軸が歳差運動をするため「北極星」は時代によって変化すると説明しています。

標準的な歳差計算でポラリスの位置を9世紀まで戻すと、おおよそ、820年ごろ:約7.2°、859~860年ごろ:約7.0°

天の北極から離れていました。

つまり平安時代初期には、北極星そのもの=真北ではなかったのです。北極星は天の北極を中心として、1日に

一周する小さな円を描いていたわけです。

1000年ごろにも北極星が北天の極から数度離れていたことは、天文学資料とも整合します。

 

ところが、ここで面白い数字が出てきました。

大阪・京都付近の緯度約35°で、860年ごろのポラリス(北極星)が一日のうち真北から最も東または西へ離れる

瞬間(最大離角)を計算すると、約8.5°になります。

そして実際の、星田妙見宮 → 石清水八幡宮 = 真北から東へ約8.35°です。

 

つまり・・・

860年ごろの北極星の最大東方離角 8.5°
星田から石清水を見る方位 北から東へ8.35°

差はわずか約0.2°です。これは数値だけを見ると、かなり驚く一致です。

 

3.「では北極星を使って配置したのでは?」となるのですが・・・

ここで慎重に考える必要があります。

星田妙見宮には、弘仁年間(810~824)に空海の修法によって北斗七星が降臨したという伝承があり、現在も

北極星・北斗七星の妙見信仰を中心としています。

一方、石清水八幡宮は859年に男山へ八幡大神を奉安し、860年に社殿へ正式に遷座した神社です。

したがって年代だけ並べると、

810~824年 星田妙見の降星伝承
↓ 約35~50年
859~860年 石清水八幡宮創建
になります。

 

そして860年の北極星最大離角と、星田→石清水の方向がほぼ一致する。

これは検討する価値のある一致です。

しかし決定的な問題があります。北極星は一晩中同じ8.5°東にあるわけではありません。天の北極を一周するため、

真北 → 東へ8.5° → 真北 → 西へ8.5° → 真北

と動きます。

 

したがって「北極星を見た」とだけ言っても、どの時刻に観測したかを決めなければ方位は決まりません。

逆にいえば、±8.5°以内なら、観測時刻を選ぶことでほぼどの方位にも北極星を合わせられることになります。

そのため「8.35°一致した」だけでは、意図的配置の証明にはなりません。

 

4.さらに古代人は、北極星だけに頼らなくても真北を測れました

これは非常に重要です。

奈良文化財研究所は、古代日本の方位測量について、地面に垂直な棒を立て、午前と午後の同じ長さの影を利用してほぼ正確な真東西線を出し、そこから3:4:5の直角三角形によって南北線を求めたと説明しています。

この技法は中国の古典に記載され、日本にも伝来していたと考えられています。

中国ではさらに古くから、圭表という垂直棒と影による天文観測が行われていました。

したがって9世紀に正確な南北線が必要だったとしても、9世紀に正確な南北線を求める際、北極星そのものを真北とみなす必要はありませんでした。

 

北極星・周極星を何時間も観測して回転中心=天の北極を求める方法や、太陽の影を併用すれば、かなり正確な真北を決定できます。

古代中国では天の極と建築の方位を結びつける思想・天文測量が非常に古くから存在したことも考古天文学研究で指摘されています。

 

ここまでの判定

今回の結果を整理すると、こうなります。

1 石清水―龍田の大きな軸
→ 真南北から約2°しか違わない。
かなり南北性が強い。

 

2 星田を含む3点の一直線配置
→ 星田が約1.5km外れる。
成立しない。

 

3 星田→石清水と9世紀の北極星
→ 方位8.35°に対し、860年ごろの北極星最大離角約8.5°。
非常に興味深い数値的一致。

 

4 それが意図されたことを示す史料
→ 今のところ確認できない。
証明にはならない。

 

5 古代人に天文による正確な方位測定が可能だったか
十分可能。 日本でも太陽・影を使った高精度の方位測量が行われたと考えられています。

 

私の判定

現段階では、「三社を北極星に従って意図的に一直線配置した」可能性は低い。
しかし、「星田妙見宮→石清水八幡宮の方角が、石清水創建期(859~860年)の北極星の最大離角とほぼ一致する」

という結論です。

 

しかもここで、さらに気になるものがあります。

星田には妙見宮だけでなく、北斗七星が降ったとされる「星田妙見宮・星の森・光林寺」の八丁三所があります。

この八丁三所の3点と、859~860年の北極星・北斗七星の実際の方位を重ねると、「8.35°の一致が単なる偶然なのか」が

もう一段かなり厳密に星の配置説を検証していきます。

 

次回は八丁三所について調べていきます。