お祭り・・・。

 

 昨日は夕方少し前から街中に出ていたので、神輿というのか、山車をいうのか、

お囃子が聞こえてきて、近付いて来ては、また遠ざかって行きました。

 

 その音を聞きながら、時間もあるし少し冷たいものでも・・・と、狸小路内にできた『たぬき小道』の中のお気に入りの焼鳥屋さん『金富士』でボンヤリとビールを飲んでいると、昔の記憶が急にありありと蘇って、

それは一瞬の光の中で見た夢の中の情景のような景色が浮かんできました。

 

 最後に中島公園の出店街を通ったのは、昭和59年の事。

職場の先輩で、ウェートレスをしていた『K田さん』と出かけたのが最後でした。

 

 私、発育が遅いといいますか、この時は慎重が160センチしか無かったのです。

K田さんは、私より背が高く少し見上げるようにお話をしていたのを覚えています。

 

 狸小路三丁目の『沖電気』たしか『イエス』とゆう店名に変わっていたのを覚えています。

その地下にあった『ケネディクラブ』とゆうパスタの美味しいお店があったのですが、

よくそこで食事をしたことも思い出しました。

 

 今は見る影も無く、全然違う様です。

そうそう、向かいの『シェーキーズ』とゆうピザ屋さんも懐かしい限りです。

 

 

 「お祭り、行ってみない?」

と、職場の休憩時K田さんに声を掛けられ、休日に一緒にお祭りの出店をウロウロしていたのですが、

突如として眩暈がして、私はしゃがみ込んでしまいました。

「大丈夫?大丈夫?」

『大丈夫。少しだけ休憩」

と、出店の裏側の木立の中で休憩したのを覚えています。

 

 沢山の人通りで急に目がグラグラと、、、視線が定まらなくなったといいますか、

きっと、目が泳いでいるように細かく動いたのだと思います。

グルグルと目が回ると言いますか、とにかく船酔いのように気分が悪くなってしまったのです。

 

 多分、この辺りから雑踏を避けるようになったのだと思います。

トラウマではないのですが、中々お祭りのような場所に近寄らなくなりました。

 

 次にお祭りを目撃したのは、これより七年後の、青森の『ねぶた祭り』でした。

この時もグラグラを起こしたのですが、別な理由も重なって、更にグラグラ、クラクラしたのを覚えています。

 

 『K田さん』かぁ・・・

憧れのお姉さんみたいな、優しくて頼もしい女性でした。

きっと、いい奥さんになったのだろうと思います。

 

 この昭和59年の祭りの三か月後、私は突如として家財道具を処分しカバン一つで札幌駅から夜行列車に飛び乗りました。

 

「おさらば札幌!」

 

 と手を振ったものの、、、

この10年後には、しっかりと戻ってきているんですよね。

 

 いや~人生って、不思議なものです。

思い通りにならなくて、

不格好だけど、

嬉しい事や、悲しい事、情けない事、、、

色んな感情が織り交ざって、幾何学模様だけど見えない布の服のような、

そんなものを人を纏って生きているだなぁ~、

 

なんて、

 

焼鳥を食べ、飲みながら、ボンヤリと考えたりしていました。

 

〽 死ぬほど辛い。

恋に破れたこの心。

泣き泣き行くんだ、ただ一人・・・・

 

 三橋美智也さんの『おさらば東京』が、

やけに胸にしみわたる、そんな猫オジです(笑)