昔、、、私が少年だった頃、調理の仕事に憧れました。
同級生が家に遊びに来た折、私が家で振る舞うラーメンが美味しいと評判になり、
口コミで広がったので、同級生から僅かにお金を貰ってラーメンを振る舞ったのが始まりです。
テレビドラマ『天皇の料理番』の放映もあり、そのドラマのシーンで、包丁の使い方を覚えて練習したものです。
商魂たくましいというか、自分で調べて研鑽するタイプでした。
学校を出てから、これが仕事となるとなんだか上手く行かないのですよね(笑)
恥ずかしい話ですが、職場で仲良く出来るタイプでは無かったようです。
それ以来、40年過ぎですですか、ワンマンな仕事スタイルが多かったでした。
時折なのですが、
『飲食店をやりたいなぁ~(グラグラ)』
と思う事があったのですが、小さな飲み屋さんをやって、簡単で美味しい酒の肴を振る舞いたいなぁ~なんて思う事もあり、
随分とテナントを探した事もありました。
これには波があって、やりたい時とそう思わない時の大波があって、別に仕事もあったものですから、ユラユラと波任せのような、そんな感じでした。
長年、飲み屋勤めをしていた女友達が、
「お店、やろうか!」
と声を掛けてくれた事があり、それ以来随分とテナント探しをしました。
札幌はススキノは勿論、少し離れた市電通り、北区、手稲、小樽、、、そんなところまで足を延ばしました。
おりしも、飲み屋関係は不況の時代。
テナント料は安くなったのは良いのですが、客も来ない。
そうしてコロナ禍へと突入して、すっかり頓挫してしまいました。
友達はすっかり開業熱は冷めてしまいましたが、私は時間が有る度に出かけてみたり、テナントを料金を調べたりしました。
しかし有る時、ふと気が付いたのです。
そもそも、夜の酒場の意義ってなんなんだろうか?
って。
高級クラブでは、今では通用しない悪習なのでしょうが、会社の接待や、なにやら商売絡みの忖度があって利用している事が多く、経済が大きく回る足掛かりの場所であったとおもうし、
キャバレーはショーを見ながら、時には接待に、時には同僚や友達と楽しむ場所であったり、
バーやスナックは、ちょっと仕事から外れて、ホッと一息、自分の止まり木的な存在で、ママさんや女の子と雑談を愉しんだり、
居酒屋では、美味しい酒、肴に舌鼓を打ったり。
そうゆう場所だった筈なのですが、いつの間にか形骸化してしまい、どれもこれも、
『帯に短し襷に長し』
のような、恩恵をもたらさない(双方に)場所になったような気がしました。
本州資本の、『ススキノ最大のクラブ』
同じく、『ススキノ最大のホストクラブ』
接待にも使えない、まして同業者からお金を搾り取るようなお店ばかりが表店になっており、
裏店では、個人のお店は淘汰され、店名は違えど、同じグループ会社の同じようなメニューの居酒屋ばかり。
『ここぞ!』
と思う料理を出してくれる店も無くなって久しい様に思えて、それが『ススキノの衰退』になっているのはなかろうか?
そんな事を考えるようになりました。
需要が生まれて、経済が回り、その恩恵がその土地の人々に響き渡るような、
そんなお店つくりを思い描いた時、ふと『開拓使時代』の札幌が気になり始めました。
昔の開拓が進みつつ、ススキノや繁華街が、どのように発展したかを調べてみれば、
その探索の向こうに、『酒場の本領』みたいなものが見えてくるような、そんな気もして探訪したいと思った次第です。