8月の初旬

 

 偶然、テレビ番組から取材され、

 林修先生を漢字の書き取り勝負

 倒せると啖呵を切り

 

 その場で難読漢字を書いてみせるという、

 蜘蛛の糸を掴んで登った件の、

 続報です。

 

 

 

 9月初旬、番組制作サイドから

 電話連絡があり、担当者と、

 紹介方法等を打ち合わせ、

 

 10月初旬にオンエアーされる方向で、

 VTRの編集作業を進めているそうです。

 

 この通話を終えて、

 電話を切った後から、

 

 私の胃は途端に重くなったのです。

 

 心底怖いと思いました。

 人生で初めて体験する類の

 恐ろしさでした。

 

 テレビに出ることそのものに

 意味などありません。

 

 問題は、そこから発展するか否か

 なのですから。

 

 私の脳裏に、最悪のシナリオ

 無意識のうちに描かれてしまい、

 生きた心地がしないのです。

 

 無事、電波に乗りました。

 さすが大阪。面白いオッサンがいるね~、

 凄いね~ハイ、おしまい。

 

 一度っきりの打ち上げ花火では、

 意味がありません。

 

 青春の思い出作りに、

 NHKのど自慢へ出るのでは

 ありませんから。

 

 これが人生の流れを変える、

 きっかけにならなければ、

 無意味なのです。

 

 どこからも、

 何の反応もなかったら

 どうしよう。

 

 こうなると、もう私には

 どうすることも出来ません。

 

 刀折れ、矢尽きる。

 

 ええ、そうです、

 もう私には切るべきカードが、

 何も残されていないのです。

 

 つまり放送に対する反応ゼロの場合、

 人生の終焉確定するからです。

 

 そんなに長くはないけれど、

 まだ人生は残っています。

 

 そう、死んでいないのに、

 死んだと同じとなるからです。

 

 それでも、母親が生きている限り、

 社会性からの逸脱断じて出来ず

 

 平静を装い、仕事へ出掛け、

 それまでどおりに過ごすしか

 方法がありません。

 

 辛い・・・・・。

 正直、死んだほうがマシなくらいです。

 

 残りの人生、統合性を得て過ごせるとは、

 到底、思えません。

 

 しかも、チャンスは一度、世間様から、

 頂けたのです、もう文句は通りません

 

 人生最大のチャンスは、

 紛れもなく、最後のチャンス

 なのですから。

 

 

 

 けれど・・・・ここまで

 書いていてふと、思いました。

 

 そもそも一撃ですべてを

 変化させようなんて発想そのものが、

 おかしくないだろうか?

 

 今夜の一撃は、最初の一撃

 千丈の堤へ打ち込む、最初の一穴

 に過ぎないと解釈し、

 

 仮に、芳しい反応が無かった場合でも、

 これまでどおりに研鑽を積み、

 

 二撃目へ備え、準備を怠らない

 この発想の方がむしろ、

 

 本気で現実を動かそうとする

 人生を変えようとしている人間として、

 相応しいといえるのではないだろうか?

 

 急がば回れ、

 人生に残されている時間が

 多くないからこそ、

 

 じっくり腰を据えるべき

 なのかもしれません。

 

 

 

 いずれにせよ、

 私が世間へ繰り出す

 最初の一撃が世へ放たれます。

 

 あるいは、自らの

 人生が変わるかもしれない夜

 

 そして、本当に自分が

 必要とされる人間かどうかが

 決するかもしれい、

 

 “審判の夜”

 そんな夜が、今夜やってきます。

 

 

 PS 

 数日前、グレートマザーから言われました。

 「アンタ、最近、カッコええな~」               

 さすが女性、さすが母親観察眼はさすがです。

 

                  バッタもん