妻がいなくなってから二ヶ月。
そんなことがあっても、
生活は変わらず続いていきます。
妻に心配をかけないように、
現実から逃げるように、
9月は仕事を頑張って、
事務所内で1番の成績を取ったものの、
燃焼しつくしてしまい、
下降気味。
いつか、
息子の遺影を、
妻と見るのではなく、
妻と息子の遺影を、
自分一人で見る日が来たらどうしようと、
そう思っていたことが、
現実となり、
部屋の片付けで妻の香りがすると、
思い出してしまい、
この今でもすぐ涙が出ます…。
妻のために生きていた自分は、
ただ、死ぬのを待っている生活です。
かと言って、
自分までいなくなったら、
娘だけでなく息子も失う親の気持ちを考えると、
自ら命を絶つことなんて、
絶対にありえません。
けれど、
待ってる感じ。
もう少し頑張って生きてみようと、
死ぬことを、
先延ばしに、先延ばしに、してる。
そんな感覚です。
今更、悲しいから休みたいですなんて、
職場の人にも言えず、
妻の友人たち、
知り合いの方も、
あの悲しかった時から、
自分の生活を、
取り戻していく様を見て、
取り残された気分になって、
寂しいなぁと思うのです。
けれど、
僕自身も生活を取り戻すということは、
簡単に言えば、
妻と息子のことを“ 忘れること”なのです…。
それしか、方法はありません。
初七日では、
提灯と妻の大きな遺影がありました。
その隣には息子の遺影も。
部屋のいたるところに、
妻の写真が何枚も置かれていて。
それが、
四十九日後には遺影が小さくなり、
もう少し経つと、
写真も少しづつ整理していって…。
それが、
生きていくということ。
買い物に行けば、
妻のことばかり考えてしまいます。
これ買って帰ったら喜ぶなぁとか、
冬用に新しい毛布買ってあげたら、
気持ちいいだろうなぁとか、
こんなのあったら便利かなぁとか。
僕は。
妻さえいてくれれば、
それで良かったのに…。
他には何にもいらなかったのに…。
こんな人生、
いらないです…。
何処にも吐けないので、
ここに置いておこうと思います。
ブログの続きを書こうと思っても、
辛すぎて、まだ時間が必要です。
一生、書けないかもしれないけど、
あの時の妻を、あの瞬間を、
決して忘れたくないから。
最近、テニスを始めました。
ご飯に行ったり、
人と会うようにしています。
何となく億劫で、
1人を選んでしまった日は、
酷く落ち込みます。
でも、ひとつずつ、
前を向いていかなくちゃ。
このブログ内で、
今も戦っていらっしゃる方、
妻のことを応援してくれていた方、
皆様に、
どんな些細なことでも、
大きなことでも、
沢山幸せが訪れますように。
自分にはそれくらいし出来ないので、
ここで願っています…。
みんな一人じゃない。


