輪廻 | 没問題!

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livedoorブログから引っ越してきました。五月天ファンのブログです。

先日、美術館で、来迎図と地獄草子を山のように見てきました。
あ、難しい話とか宗教の話とかしないので(むしろ私ド素人なので、詳しい方は読み飛ばしてください)、輪廻を歌った五月天の曲でも聴きながら、ちょろっとだけお付き合いくださいな。




地獄とか餓鬼とかってよく聞きますが、「六道」のうちの世界なんですね。比較的幸せな方から順に、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄。輪廻って、こういう世界の間をぐるぐる回ることだそう。地獄っていうのは、六道の中では比較的有名な世界だと思うけれども、迷いの世界である六道の中では、どの世界にいても、程度の差はあれ、辛いことはつきまとう。そこから離れた安らぎの世界が、極楽なんですね。

六道の中でも、「天」って、結構幸せそうなんですよ。日々楽しくて、寿命も長い、天上の世界なんですって。だけど、寿命には限りがあって、老いがあって、いつかは終わりを迎える。それが「天」の苦しみなんですって。「地獄」やなんかと比べると、「天」で充分幸せそうですけどねー。そう考えると、「極楽」の幸せ度ってハンパないですよね。

んでもって、底辺の「地獄」は、そん中に八大地獄ってゆうのがあって、八大地獄は、それぞれ更に十六に分かれていて。どんなことした奴は何地獄に落ちるって決まってて、そういう裁判するのが閻魔様で有名な十王なんですね。

地獄については、すんごくいろいろ細かく決まってるのに、極楽については、基本的に「なんかいい感じー」みたいなものしかないんですって。そんだけ、人によって「なんかいい感じ」の内容っていろいろあって、漠然としてるのかなって。

でも、もしかしたら、人って、「なんかいい感じー」の内容を想像できない生き物なのかも。
どんなに完全な世界を想像しようとしても、自分が「あーこれ以上何もいらない!」って思える状況を、想定できないのかもしれないですね。

最近、地獄絵をよく見たりするんですが、なんか、「あんな悪い奴、あの世でこんなひどい目に遭っちゃえ!」みたいな想像力って無限だなーと妙に感心したり。そして、ここまでのひどい目に遭えばいいと人に思われるような極悪人が、この世にいるってことですよね。きっと、そんな極悪人だって、現世で、いわゆる「バチがあたる」みたいな目に遭ってたら、周りの人だって溜飲が下がると思うんですが、こうやって死後のこといろいろ想像して「あの世で見てろよー!」と思うってことは、きっと、そういう人でなしも、のうのうと生きてるんでしょう。きっと、時代や社会が変わっても、そういう世の中の根本的な理不尽さって、ずーっとずーっと変わってないんだろうなぁと思います。怖いのは、あの世じゃなくてこの世なんだなと、果てしないような気持ちになる。地獄絵図から、現世が見える気がするんですよね。


んで、なんかおもしろい展示もいくつかあって、まず、「木造 山越阿弥陀像」!
その名の通り木造で、阿弥陀さんが掘ってあって、2.5Dというか・・・こっち半分は立体的なんですけど、基本的に平べったくて、ついたてみたいにして使うんですね。なんですが、阿弥陀さんの白目のところ、貫通させてあって、つまり、阿弥陀さんを外側に向けて、部屋の中で明かりをつけると、阿弥陀さんの目から、部屋の外に向かって明かりがバーッと射すわけです。す、すんげぇ・・・。

そして、「被り仏」!
文字通り、仏像の内部がくりぬいてあって、中に人が入れるようになってて、袈裟のひだになってる部分とかよく見ると、覗き穴がついているという、まさに被り物状態。こんなのあるんですねー。

来迎図なんかもね、需要が高まると、質より量だっつーことになったのか(?)、本職さん以外が描いてて、正しくないものなんかも出回ったりしてたみたいで。何にでも、「パチもん」ってあったんですね。


私はあんまり、信仰のための宗教には興味がないんですが、文化としての宗教はおもしろいなぁと時々思います。