AIがあるから英語なんて勉強する必要がない。

これは一見もっともらしい意見である。


中学生の娘は英語の宿題をGoogle翻訳でやっている。冒頭の意見から言えば義務教育で英語を学ぶこと自体がナンセンスとやらになるのだが、それはさておき、AIがどれほど役に立っているか、言い換えれば、使う側がどれほど使いこなしているかといえば、道具は便利に違いないが、使い方の基礎知識以前に、その道具の存在意義、なんのためにその道具があるのかを知らなければ使えないし、それこそワンチャン使えても喜劇的な出来栄えとなる。


英作文を作ったのでちょっと見てくれと言うので見てやると、のっけから凹んだ🤢


主語がない。

全部命令文。


英語に主語がないということはありえず、いきなり動詞がくれば、それは目の前の相手がやることを言っている、つまり命令文になるとあれほど言っているのに…


それにbe動詞と一般動詞また混ぜている…


日本語は主語などなくても誤りではないし、ないのが日本語であり、主語はつけてもいいくらい、その程度の飾りである。小学校で主語・述語を習うのでそんなものと思っているが、正式な文章でも主語がないことは珍しくない。「〜は」を主語と勘違いして覚えている(覚えさせている)うえに、文学作品の人物の気持ちとかを国語と称してやっているので英語を学ぶための母国語の土台自体がない。母国語の土台がないということは外国語ができないこと以上に悲劇的なことである。


日本では生魚を食べます。


娘に、この文章の主語は?と聞くと、「日本では」だという。🤢

Google翻訳を使うとちゃんと、peopleが入る。娘は日本語にはない単語が勝手に挿入されるので混乱してパニックになる。


必ず主語を必要とする英語と、あってもなくてもいい、主語は飾り程度の日本語は、使う人間そのものの違いである。


語学とは人間を学ぶことである。


AIはどこまで人を模倣することができるのだろうか。


さて、この文章を書いているのは私か私を代理するAIか、どうやって見極めるのだろう?


CNNニュースで、AI部門の写真コンテストに人間が自然の偶然を写したものが賞を取ったというのがあった。