労働政策研究・研修機構(JILPT)の労働政策フォーラム「女性の就業について考える -環境変化と支援のあり方を中心に-」を視聴しました。

コロナ禍で女性が非常に不利な立場に立たされたことや、景気が回復しても女性の雇用は戻りが悪いことなどを、シングルの問題や貧困の問題とからめて、大学の先生やマザーズハローワークの人、母子を支援するNPOの人などが議論をしていました。

最後に、司会のJILPT所長濱口桂一郎さんが、司会は余計なこと言っちゃいけないのだけど、5分残ってるので、ちょっと余計なこと言わせてもらいますねと、次のようなことをおっしゃいました。

濱口さんがベルギーに留学していたとき、ベルギー人気質を揶揄するものとして、  電話がなり続けているのに誰も取らず、そこには「availableアベイラブル」という文字が書かれている、というポストカードがベルギー土産としてあったそうです。

availableとは、利用できる、入手可能、手が空いている、という意味です。

ベルギー人に対する皮肉です。いつでもどうぞといいながら、いつ電話しても誰もいねぇじゃねえか(いるくせに電話取らないだろ!)ってことですね。

濱口さんは、一方日本において、日本企業は社員(男性)に対してあまりにも、常にアベイラブルであることを求めすぎていたのではないか。これは、逆に言うと、子どもからしたら父親は家庭において、常に「アベイラブルではい」ということではないのか?と、指摘していました。

これ、女性の就業問題をいちばん的確に言い表していると思いました。

女性は家庭において、常にアベイラブルであることを夫や子どもやその他の人からもとめられていました。いや、過去形じゃなくて、女性活躍とか(これこそ過去形か)女性の社会進出(これは死語か)とか言いながら、依然として家庭周辺において、アベイラブル、つまり、いつでも手が空いている、利用できる、入手可能であることを求められており、これは会社や社会?(社会を引っくり返すと会社とは!)においては、妻や母親という女性は、男とは反対に全然アベイラブルではないということである。

アベイラブルでない労働者に高い金をなぜ払わねばならないのか、高い給料が欲しけりゃ、アベイラブルになりやがれ、ということなのである。

アベイラブルがいきすぎた世界の成の果てが、今の世界、全然アベイラブルではない世界ではないか。

今の時代、家庭内で女性が活躍すればするほど、貧困に陥るようである。

早めに家庭内での活躍を、夫や子どもに譲らないといけない…