ブレイディみかこさんが「オンガクハ、セイジデアル」のなかで、英国人である夫の母親の葬儀のことを書いていた。英国人というのが正しい言い方かどうかわからないが、みかこさんたちはイギリスに住んでいるので英国人としておく。

夫の母親はアイリッシュである。

英国においてアイリッシュは「犬と黒人とアイルランド人はお断り」と言われた時代もあるほど差別されている。

英国人からかように差別されているアイリッシュであるが、その差別され続けていたアイリッシュ労働者家庭の姑は、有色人種を自分たちのさらに下に位置する者と思っていたようである。

アイルランドの教会での葬儀には多くの村人が参列し、遺族に言葉をかけたが、少なからぬ村人が東洋人であるみかこさんを完全黙殺したそうだ。

遺族として並んでいるのに、いないかのようにスルーし、隣の義理の姉と握手するのだとか。みかこさんは、ヘイトスピーチよりもつらい。出ていけとか、罵倒されたほうが、人間としての存在を認められているようでリスペクトがあると書いている。

イタリア在住の作家塩野七生もどこかで似たようなことを書いていた。

多くのイタリアンにとって日本人は黄色いやつ、あるいはチャイニーズなんだと。

正義とか自由とか、人権とかいっても、かれらにとってそれは、白人周辺のことであり、かれらのヒューマニズム・人間とは、白い人たちのことらしい。

ルワンダの涙という映画のなかでも、女性ジャーナリストが、ボスニアヘルツェゴビナのときは、迫害されている老婆を見て、自分の母親を思い心が傷んだ。だが、いま、ここで殺されているのはただの黒いやつら、などと言っていた。

みかこさんは、ヘイトスピーチの飛び交う都会が無性に懐かしくなったと言っている。


かつて1ヶ月だけ滞在したイタリアのことを思い出した…

「人からどう見られている」かを異常に気にする体裁やの日本人は、なぜ自分たちが白人たちにとって、中国人韓国人、フィリピン人インド人その他多くのアジア人と同じと思われていると想像しないのだろう。

公人や金持ち、インテリや都会人が表向き差別しないからわからないのだろうか?


やはりおめでたい民族なのか…