メディアでは毎日のように旧統一教会のことをやっている。教団への批判、糾弾であるが、そもそもの発端は、安倍元総理襲撃事件である。
言うまでもなく、安倍元総理を襲撃したのは、旧統一教会の信者や元信者ではなく、旧統一教会を恨む(逆恨みかもしれないが)、元信者の身内である。
犯人は教団トップを殺害するつもりであったが、ガードが固く諦めざるをえず、代わりとして、教団の存続に深く寄与していたと犯人が判断した安倍元総理をターゲットにして、成功したのである。
ここから政権幹部、機密情報を知る者と、韓国由来の旧統一教会とのつながりが問題視されたのだが、いつの間にか教団のマルチ商法まがいの信者集めや、マインドコントロールが話の中心になってしまっている。
予期せぬ迷走なのか、誰かが意図したことなのか。意図したことなら、ロシアのプロパガンダ並みに巧みである。
韓国というのがポイントであろう。
韓国由来の宗教がここまで日本人に浸透した理由として、あるコメンテーターは、韓国への侵略に対する申し訳なさを挙げていた。だが、それなら、アメリカの自動車産業を衰退させるまでに車を大売りしたトヨタなど日本の自動車産業の成功は、アメリカ人の、日本に対する、原爆落として申し訳ないという気持ちが原因ということになってしまう。少数派としてはいるかもしれないが、大多数はそんなこと思っていない。車そのものに魅せられたのだと思う。アメリカ人の価値を日本の自動車産業が体現したからだと思う。
旧統一教会の教えも、多くの日本人を魅了したのではないか。その教えの正邪はおいとくとして、つけ入るところがあったのではないか。
日本人はつけ入れられやすいのかもしれない。
宗教に対して無邪気で無知である。宗教を論じるとき(あれらを論じると言うなら)、必ず、どんな教えも尊重しなければならないが、そのうえで…と言っている。宗教も思想と同じく正邪があるという当然のことが、宗教というだけでわからなくなってしまうようである。宗教というだけで、恐れ入ったり、恐れたり、否定したりである。その教えは人をよくするのか、悪くするのかという、宗教の存続意義にかかることにはてんで無頓着である。インテリにも、舌鋒鋭いジャーナリストにもそういう人がいて、他のことならキチッと言えるのに、宗教になると聖域扱い・特別扱いで論調が落ちてしまう人がいて残念である。佐高信や斎藤貴男はすごくいい論者なのに、宗教をアンタッチャブルにしていて、そこに彼らの限界があるようで残念だ。
この旧統一教会叩きで一番得をするのは誰だろう?これは宗教叩きなのか?韓国叩きなのか?
宗教叩きに見えるが実相は違うようにも感じる。一応宗教叩きとして、宗教を叩いて得をするのは誰だろう?隣国を叩いて得をするのは誰だろう?