シュタイナー教育もモンテッソーリ教育も、共に20世紀初頭のヨーロッパで発祥した教育方法なのですね。

シュタイナーはドイツの男性哲学者、モンテッソーリはイタリア初の女性医師。
どちらも「自由」を重視するところは共通しているけれども、そのやりかたは大きく異なります。

シュタイナー教育は教師のかかわりに重きを置いており、モンテッソーリ教育はこども自らができるようになるような環境を作り出すことに力を置いています。

あるシュタイナー教育の本によれば、シュタイナー教育による子育ては、日本の昔ながらの子育てと同じということです。

私はつい最近、法学部通教の教育史の試験のために、日本の子育てと西洋の子育て、子ども観というのをイヤイヤながら(笑)勉強したところなのですが、なんか日本の子育てって、一見するといいんです。母子密着で、子どもは宝で、決して体罰を与えないとか。西洋なんて、子どもは未完成、未熟、動物、体罰で律するみたいな、野蛮人そのものなんですが(笑)、だからこそ、教育の可能性を初めて説いたエミールが偉大だとされるんですね。

でも日本は子宝とかいいながら、子捨てや子殺しも多く、7歳までは神の子とか、屁理屈みたいな方便でそれを正当化してるんです。
子どもが宝なのは、跡取りとか、男子とか、道具として有効とか、なんか、すごい条件付きなんです。おんぶも子どもにとっては母子密着で精神的に安定するのだろうけど、労働のためだったり、5~7才の子どもでも可能な子守り方法であったり、なんか、いうほどいいもんでもなさそうです。

で、現代に話を戻すと、シュタイナー教育とモンテッソーリ教育という、2大教育法の生まれたドイツとイタリアって、ファシズムも同時期に生まれているのです。興味深いことです。
ファシズムって、全体主義のことらしく、多くの国で出てきていますが、ドイツ・イタリア・日本が悪の枢軸として有名てす。

ソ連・ロシアはドイツをファシズム、ファシストと罵るが、なんか、いまひとつ合点がいかない。ソ連・ロシアはファシズムではないのか?
ファシズムとはなんだろう?国に当てはめると、正確な定義が難しいというか、不可能な気がする。

モンテッソーリ教育はよくわからないのだけど、シュタイナー教育は、どうも排除・排斥の匂いがする。うるさいやつは排除されるかんじ。あくまでお眼鏡にかなった子どもだけが素晴らしいっていう。日本の子宝観と似てる。いいところもいっぱいあるし、肯定的なところもある。でも、なんか趣味に合わないかんじ…