こんなことを思っていたのか…(2020.2)


すごい山道を登って少年自然の家に行き、パン作りに挑戦した。

親子パン物語とかいう親子体験のひとつ。

参加者は現代の親子だが、空間は昭和50年代である。

施設自体老朽化していて、タイムトリップしたかんじである。

下駄箱、食堂、休憩室、ストーブ、キツネやテンのはく製、どんぐりなどの工作、どれをとってもなつかしいというより、小4あたりから時間が止まったような、あれから何十年も経ったような気がするが、実は長い夢を見てたといったかんじの時間が止まった感覚。

物体や物質の変化は時間を説明するにはうってつけである。

水を流せば時間の経過とともに流れが広がる。

時間そのものの説明にはなっていないけれども、時間とはどのようなものかを説明するには適している。

では、変化のないもの、これはどう説明したらいいのだろう。

時間は経過しているのに、物体や物質の変化がない。

あっても認知できない。こういうものの時間の経過はどうとらえたらいいのか。

時間が流れ、物事が変わってしまうことが悲しく、いつまでも過去の世界にいたい人にとって、少年自然の家はやさしく迎えてくれる時空を超えた場所である。

職員の人たちまで、まるで過去の人たちのように過去のしきたりと礼儀のなかにあり、なんだか不思議な半日だった。

認知症の人たちの内面はもしかしてこんなかんじなんだろうか…