すごい山道を登って少年自然の家に行き、パン作りに挑戦した。
親子パン物語とかいう親子体験のひとつ。
参加者は現代の親子だが、空間は昭和50年代である。
施設自体老朽化していて、タイムトリップしたかんじである。
下駄箱、食堂、休憩室、ストーブ、キツネやテンのはく製、どんぐりなどの工作、どれをとってもなつかしいというより、小4あたりから時間が止まったような、あれから何十年も経ったような気がするが、実は長い夢を見てたといったかんじの時間が止まった感覚。
物体や物質の変化は時間を説明するにはうってつけである。
水を流せば時間の経過とともに流れが広がる。
時間そのものの説明にはなっていないけれども、時間とはどのようなものかを説明するには適している。
では、変化のないもの、これはどう説明したらいいのだろう。
時間は経過しているのに、物体や物質の変化がない。
あっても認知できない。こういうものの時間の経過はどうとらえたらいいのか。
時間が流れ、物事が変わってしまうことが悲しく、いつまでも過去の世界にいたい人にとって、少年自然の家はやさしく迎えてくれる時空を超えた場所である。
職員の人たちまで、まるで過去の人たちのように過去のしきたりと礼儀のなかにあり、なんだか不思議な半日だった。
認知症の人たちの内面はもしかしてこんなかんじなんだろうか…