100年近く滞在したこの世との別れは静かであってほしい。霊山に旅立つ人も同じ思いであるだろう。
だがしかし。そうは問屋が卸さないところが人の世の難しさ、くだらなさである。
死を前にすれば、すべてのことが瑣事にすぎないのに、その瑣事で右往左往せねばならない。やれ遺体引き取りはどうする、安置場所は、この気温室温でタイミングが悪いと火葬が遅れる、連絡忘れのとこはないか、お金は?あーーーーーーっ、済んでない手続きがあるーーーーーーーっ。とか。
他人にとっては喜劇でしかないことも、当人たちにとっては切実な問題である。
弁護士の矢部正秋は、著書「プロ弁護士の思考術」で病気見舞いや葬儀について辛辣な批評をしている。
会葬では愁傷な様子で悔やみを述べ故人をしのび、悼まねばならない。会葬者に努力と投資を強いるわりには、死者にとって実質的なメリットがない。
そのとおりであるが、しかし、だからといってやらなくていいものでもない。
静かにいきたいのはやまやまだが、元々が騒がしい性質なので、当人には申し訳ないが、にぎやかにやらせていただきたい。というか、いつもそうなる。私は静かにスマートにやれない。ごめんなさい!!かんべんしてください!