今朝の毎日新聞の一面の見出しが「公明連立離脱」の記事である。この数日のメディアの報道から、公明連立離脱の可能性が報道されてきた。26年続いた自公連立の幕を閉じることになった。私は、自公連立解消を歓迎し評価する立場である。
私自身、自公の連立には疑問を感じていた。公明党の結党理念は「大衆と共に」にである。その理念に賛同してきた。自公の連立により、立党理念が揺らことを懸念していた。自民と公明では、議員数では圧倒的な違いがある。公明党の政策の実現には、ハードルが高いのが現実だ。与党政権になり、一部の政策が実現したことも事実であろう。しかし、その一歩で「平和と福祉の党」の看板が揺らいだことも事実である。
大きな転機が、2014年の7月1日の「集団的自衛権」を可能とする憲法解釈変更の閣議決定である。2015年9月に、「安保法制」が成立した。これにより、政府は憲法解釈を変更し、日本が武力攻撃を受けていなくても、存立が脅かされる事態に際して「集団的自衛権」の行使を認めることになった。「存立が脅かされる事態」を拡大解釈すれば、戦争参加への法的根拠になりかねない。日本は、第二次世界大戦における唯一の被爆国である。その反省に基づき、憲法九条の「戦争放棄」の条項が制定された。この解釈にも二つがある。「すべての戦争の放棄」と「自衛権を保持する」である。歴代政府は、後者の「個別的自衛権」の保持の解釈をして来た。この解釈を拡大したのが、限定的にせよ「集団的自衛権」を容認したのが安保法制である。端的に言うならば、戦争ができない国から戦争ができる国への変更と言っても差し支えないだろう。
現在の世界情勢を見ると、自国第一主義への流れが強まっている。トランプ大統領の「アメリカファースト」がその象徴と言える。トランプ大統領の外交「ディール」により世界経済がカオス化している。
2022年のロシアによるウクライナ侵攻、2023年のイスラム組織・ハマスのイスラエル攻撃に端を発するイスラエルのガザ地区へのジェノサイドは、残虐の一言に尽きる。戦争は、多くの人命を失い、都市の破壊しか生まない。我々は、この痛ましい惨状を目の当たりにしている。戦争は「絶対悪」である。
自民党高市早苗総裁誕生により、右傾化への懸念を抱いていた。公明党の連立離脱により、高市総理誕生が流動化している。女性初の総理誕生を期待している支持者も多くいるかもしれない。私自身は、高市氏の過去の言動から一人の人間として信頼できないとの思いでいる。今回の自民党総裁選挙には関心が持てなかった。「解党的出直し」の実態は全く見られなかった。自民党には「自浄作用がない」としか言いようがない。国民の不信感の温床となっている企業・団体献金の在り方見直すことさえできないのが実態と言える。少数与党から公明党が離脱することにより、政治の不安定化は避けることができないが、公明党には、立党の理念に回帰することを願うと共に、「国民のための政治」への転換を願っている。